多くのホストからリスペクトされる生きる伝説、桐生レイラさんがメゾンドボーテ初登場! レイラさんといえばそれまでのホストのイメージを劇的に変えたファッショニスタにして、RHYTHM(リズム)を月間売上1億円の人気店に育てあげた名プロデューサー。そんなレイラさんの波乱万丈なホスト一代記をお届け♡ 「初めて働いたお店は日本語が話せなくてクビになった」というエピソードも初告白。カリスマの素顔に迫ります!!
レイラさんのお店、RHYTHM(リズム)がオープンしたのはいつですか?
2019年の11月25日にプレオープンして、グランドオープンが2020年の2月。
その直後にコロナ食らって結構大変でしたね。3月末に自分がコロナになっちゃって。
そのとき文春からインタビューされてましたよね?
そうそう。コロナが出ちゃったからそのままお店を閉めて、歌舞伎町の中でもいち早く完全自粛した店舗だったのでその話をしました。あの時期、うちの従業員たちはかなり厳密に自宅待機してましたね。
もちろん自粛期間のお給料の補償もしていたんですけど、やっぱり先行き不透明な時期でもあってホスト歴の浅い従業員が6人くらい辞めちゃったりもして。キビしい時期ではありました。でも、そこから立て直してオープン1年後には月の店売り1億円を突破することができました。
すごい! よくそこまで!
コロナの自粛があって逆に強くなったんだと思います。これ以上落ちることはないし、ここからはもう頑張るしかなかったから。そこで新たにスタートを切ってみんなで頑張れたのが大きかったですね。元々、1周年のときには1億行こうねっていう目標もあったので。
経歴も振り返っていきたいのですが、レイラさんはお父さんが日系ブラジル人でお母さんがフランス人。フランス生まれブラジル育ちなんですよね。それで日本に来たのは16歳のとき?
そうですね。父が日本で働いてたんで会いに行った感じでした。「とりあえず日本行こうかな〜」って。最初は3カ月だけいるつもりだったのが…気づいたら丸18年 (笑)。
ホストになる前は?
高校も行かずプー太郎でヒマしてたんで、17歳になったときにお弁当屋さんでバイトを始めました。そこ、おばあちゃんとおじいちゃんとフィリピン人しかいなくて。みんな優しいし良い人たちだったけど1年2カ月くらいで飽きて。
10代の若者がその環境で1年2カ月続いたのはえらいかもしれない。
日本語が話せなくても大丈夫な職場だったんです。僕、その頃まだ日本語全然わからなかったから。でも職場の副班長でしたよ。
お弁当屋さんをやめてからは表参道のバルバッコアというブラジル料理のレストランで働いていて、19歳のとき道でスカウトされてホストになりました。しつこく勧誘され続けていたし、店の先輩から「お前は人に見られる職業についたほうがいい」って背中を押されたのもあって。接客業だったら日本語も覚えられてお金も稼げて一石二鳥だなって気持ちもありましたね。
スカウトされたときホストってどういうものかわかってました?
わかってなかった(笑)。でもその店、2週間くらいでクビになったんですよ。『カタナ』っていうお店だったんですけど。「君は絶対売れる。絶対スターになれるから」って口説かれたのが、実際入ったらボーイさんみたいな仕事しかやらされなくて。「話違くない?」って俺なりの日本語で詰めたら、「だって君、日本語できないから接客できないでしょ。だったらもう来なくていいよ」って。クビにされちゃったんです。
ええ!!
それで、そのまま目の前にあった『アヌビス』っていうホストクラブのドアをカチャッと開けて入って行って、「ここで働かせてください」って言ったんです。そこが本当の意味でのホストのスタート地点。アヌビスの会長さんにはかわいがってもらいましたね。今の名前をつけてくれたのもこの人。「今日から君は桐生レイラね」って。
クビになって落ち込むんじゃなくて、その足で次のお店に飛び込むその行動力!
お父さんが怖かったんですよ。昼職やめるとき猛反対されたから。これで夜はクビになりましたなんて言ったら殺されると思って(笑)。
日本語がわからなかった頃はお店でどう接客していたんですか?
最初は置物営業でした。それから飲みキャラ。会長さんから「お前は毎日白スーツで出勤しなさい。バラはなくていい。しゃべらなくてもいい。座っていればいいから」って言われたんです。元々昼職やってた人間なんで、上司から言われたことは守るんですよ(笑)。
やがて日本語が話せるようになってからは…。
そこから飲みキャラになりました。でもそこまでに1年半くらいかかりましたね。その間は家に帰ってから毎日日本語の勉強をしてました。
心折れそうになりませんでした?
いっぱいなりましたよ。お客さんも当時は優しい方ばっかりじゃなかったんで。今は何でもググれるんで便利ですけど、当時はガラケーだったので簡単に調べられないんですよ。漢字とかわからなかったから営業が難しかったです。
漢字がわからないと文章を解読するのが大変ですね。
優しい人は全部ひらがなで送ってくれたりしてくれたんですけど、全部ひらがなだとそれはそれで読み難かったりもしてww ほんと、あの頃どうやって営業してたんだろう(笑)。
アヌビスでは1年半くらい働きましたね。すごく良いお店だったんですけど、閉店することになっちゃって…。だったら自分も一緒にホストを辞めようと思ったんですけど、会長さんから「お前は絶対に有名になるから。この機会に大きいグループに行きなさい」って諭されました。AIR GROUPに入るように背中押してくれたのもこの人。それでALL BLACKに入店しました。それが21歳のときですね。
AIR GROUPに入って一気に名前が売れた?
AIR GROUPのプロデュースが上手かったですよね。モデルもさせてくれたし、ユニットも組ませてもらってCD出して、テレビやイベントにもたくさん出させてもらいました。そうやってホスト以外のことにも取り組んでいるうちに、興味を持ってくれた方が店に来てくれるようになって指名もどんどん増えて。
当時、知名度を上げる手段って雑誌やテレビしかなかったんですよ。いっぱい出たほうが知ってもらえるチャンスが増えるから。睡眠3、4時間くらいで生きてましたね。
多忙!
昼間も毎日のように撮影があって、ユニット組んでたんでそのレッスンもあったりして。もちろん通常のホストとしての仕事も毎日あるしやたら忙しかったですね。そのうちいつの間にか歌舞伎町で看板に力を入れるようになって、トラックが走るようになって、SNSも普及して。今の時代は知ってもらう機会が多いので有名になりやすいですよね。YouTubeもあるし。自分から掴みに行けるチャンスが多い。ほんと良い時代になりました。
僕の時代はチャンスって与えてもらうものだったから。それに上手く乗れるかどうか。自分は楽しくできてたから良かったけど。乗っかれなかったコは脱落していきましたよね。「ホストやりに来てるのに、なんでこんなことやらなきゃいけないんだ」って、嫌がるコもいっぱいいたから。
ALL BLACK時代は長かったですよね。トータル何年くらい?
11年です。4年間代表やってそれからプロデューサーになって、その後独立して。
振り返ってみて、今の自分につながる節目だったなと思うのはいつですか?
代表を上がって次のステップに進もうかなって頃。28歳くらいかな。
本当はそのタイミングで自分のお店を出そうって話にもなってたんですよ。でも、店を借りて家賃払って人も集めて、お金もかかるしすべてを抱えてこれでパアになったらどうしようとか。そこで働く人間の人生背負ってそいつらのためにどういうものを作ってあげられるんだろうとか。リアルで考えたときに怖くなっちゃって。
パッと周りを見て、こいつらにも親がいて仲間がいて人生があるんだよなって思ったら、人ひとりの人生背負う重さみたいなのを感じたんですよ。そう考えたら、プレッシャーでしかないじゃんと思って。
そう考えると責任重大すぎて恐ろしいですね。
今の俺にはそこまで背負えるマインドはないと思いました。それでそのときは一回その気持ちにフタをしたんです。これは節目だったなって思います。何を背負うかを自覚したっていう意味で。
それで代表上がったあとはALL BLACKのプロデューサーに?
ですね。でも、そこからは悩み多き時期でした。
新しい代表にある程度まかせる必要があったのかもしれないけど、自分自身もプレーヤー目線が抜けないのか「自分はこうしたい」みたいなものが強くて。なんで新しい代表とも最初バチバチだったんですよ。「そうじゃないと思う」っていうところでよくぶつかってました。どうしても「俺だったら」っていう目線で考えてしまうというか。
この時期は結構孤独でしたね。プレーヤーは上がってはいたけど、その感覚をクリーンに全部消すっていうことは難しいから、俺はプロデューサーに向いてないなとも思ったし。
悩み多き時代。
めっちゃ迷子だったんですよ。プロデューサーってなんなのか、どういう立ち位置でいたらいいのか。「結局、俺は何をしたいんだろう」ってことをずっと考えてました。
この店をもっと有名にしたいのか、このグループを大きくしたいのか。考え続けて、それもあるけどそうじゃないなって気がついた。自分が作りたいホストクラブ を作りたいんだって気がついて、ああ、そうだったのかみたいな。
そこに気がついてからはスッと考えがまとまったというか。今の立場でそれができないなら、じゃあ独立しようみたいな (笑)。
この時期はすごく苦しかったけど、そこの答えがわかるためのストレスだったと思うんですよね。自分がどうしたいのかを見つけるために必要な時期だったなと思います。
求めているものは見えた。
組織の中でプロデューサーという役割を受け持つのと、オーナーとして自分の店をプロデュースするのって違うと思うんですよ。組織の中にいたら会社の中の社員みたいな立場じゃないですか。社員は会社のお金を自由には使えないから、「このコはこういうプロモーションで売り出してあげよう」と思っても、お伺いを立てて会社からゴーサインもらってからじゃないと進めない。予算も自由には決められない。めんどくせえと思って(笑)。
何がしたいかがわかったら強いですよね。あとは進むだけ。
そう。自分で店舗出して一から店も男のコもプロデュースしていこうって。それでAIR GROUPとはFCという関係でリズムを立ち上げることに決めました。
独立するときは、28歳のときに感じた怖さっていうのは?
なかったですね。どう動いていけばいいか目指すものが自分の中で明確になっていたから。背負う覚悟もできていたし。自分の思う店を作るって気持ちが固まってどんどん楽しくなっていきました。内装も自分で一から決めて、男のコも自分で面接して…。
リズムがオープンしてからはもっと楽しいですね。従業員をまとめて店を回していくっていうことは代表に任せて、自分は従業員の看板作ってあげたり、トラック走らせたり、YouTubeやったりっていうプロデュースに専念できているので。
代表は一 秋(にのまえ しゅう)っていうんですけど僕の右腕的な存在なんです。リズムを立ち上げたときから「AIR GROUPで年間1位の店を作ろう!」という目標を共有して、一緒に戦ってきたなっていう実感があります。
レイラさんは従業員の教育みたいなこともするんですか?
ホスト業に関して教えることはないんですよね。人は人なんで。俺はこういう営業をしてこういう接客をしてきたからこうしなさいと言ったところで、みんなに当てはまるわけじゃないから。そいつはそいつのやり方でやっていかないと。自分に合ったやり方を探していかなきゃいけないから。
できることといえば?
見守ることですよね。「あ〜」と思うことがあっても否定はしない。そこは自分も成長したかな。前は否定だらけだったから。今はしないです。言うとしたら「こういうやり方もあるんじゃないかな?」って提案するくらい。
レイラさんといえばヘアメイクサロン『MAKE ON』のプロデューサーでもありますが、美容室を作ろうと思ったのってどうしてだったんですか?
男のコの面接をしているうちに、このコ顔はかっこいいのに髪型がダサいなとか、ボサボサで垢抜けないなとか、もったいない男のコが結構いることに気づいたんですよね。髪型でだいぶ変わるなって。男のコのカッコ良さをベースアップしたくてMAKE ONを作りました。
生まれ持った造作以外でカッコ良くなれる余地はあるみたいな?
むしろその余地が大きい! ホストじゃない男のコでも会社勤めしている人でも、サロンでヘアセットするってことが一般化したらいいなって思ってるんですよ、すごく。髪型だけで男前度は格段に上がるから。今日仕事行く前にちょっとセットして行こうとか、夜デートがあるからセットしに行こうとか。そういうことがあたりまえにできたらいい。普通の男のコたちもカッコ良くしてあげられたらいいな、からMAKE ONは始まりました。今は歌舞伎町だけですけど、いずれ渋谷、池袋、全国と展開していきたいですよね。
リズムのその先、次の展開として目指しているものは?
拡大移転と店舗展開ですね。今のリズムの箱って80坪くらい。店舗展開していったら今のリズムが本店っていうのは違うかな。やっぱり1号店って考えたら120坪くらいの箱がふさわしいので。次の店舗を出すときには新たな箱をリズム本店にして、今の箱をリズムセカンドにしてみたいなやり方もいいなって考えてます。そうやって成長させていけたらいいですよね。それもキャスト次第ですね。集まれば集まるほど話の進みは早いんで。
従業員にはどんな資質を求めてますか?
本気で稼ぎたいコ、気持ちが強い子はぜひ! 顔はそんなに重要じゃない。髪型を変えたりヤセたりファッション変えればいくらでもカッコ良くなるから。バチバチイケメンじゃなくていいんですよ。むしろイケメンで仕上がってるコはすぐやめちゃうんで。扱いづらい。顔より気持ちを重視してます。
では最後に。レイラさんにとってホストとは?
学校、スクールですね。いろんな意味で。僕が外国人だったからとかでもなく、ホストを本気でやったら誰でも絶対に勉強になるし、そこから得られるものって本当に多いから。俺の人生すべてはホストになることから始まったなって思ってます。
歌舞伎民にとっては雲の上の存在の桐生レイラさんにも、人知れず乗り越えた苦労や苦悩があったんですね。今直面している問題はきっと次のステージに進むためのステップ。そんなふうに思えるお話でした! レイラさんありがとうございました。
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