「1,200万円のロマネが下りた!」「月の売上が1億越え!」などなど華やかな伝説を持つ黒咲サリーさんがメゾンドボーテのコラムに初登場♥ 人気絶頂のなか21歳で突然の引退!2年半の昼職生活を経て復帰!移籍! サリーさんのキャバ嬢人生に迫ります♪
12月1日からは六本木の新店の『67(ロクナナ)』というお店にいます。黒咲サリーです。その前は『舞人』に丸1年くらい。その前は夜を休業して昼職してました♥
私の夜歴をざっと振り返ると、キャバ嬢を始めたのは18歳の終わり頃。お店は地元横浜のキャバクラでした。歌舞伎町に来たのは20歳になる少し前。最初のお店はアジアンクラブ。そのあと21歳でレヴューに移って22歳目前で引退。2年半くらいはお昼の仕事をしてました。
辞めたときは、レヴューで歴代記録を出していたときだったので、お客さんも含めて周りの人みんなに驚かれました。でも、もともと20代前半で引退するってことは、キャバクラを始めたときに決めていたこと。その年齢だったらそのときやりたいことにチャレンジして、もし失敗したとしても戻ってこれるから。仮にキャバ嬢だけをやり切ったとしても、そのときにやりたいことがあるかもわからないし、ひとつの世界だけしか知らないのは私にとってはリスクが高いと感じていたので。まだ戻れる場所を残したまま、新しい世界に飛び込む選択をしました。
昼では自分で会社を作って、訪問のドレス販売のお仕事をしてました。
キャバクラに営業に行ってドレス販売の契約を取って、お店の営業中から営業後にかけて直接ラックを持って売りに行く。そこで直接好きな物選んで買ってもらうっていう“ドレ販”です。なんでもネットで手に入るけど手に取って買える安心感に勝るものはないのでそこを突いた商売です。
ネットで買った商品って、想像通りじゃないことも多々あるし、ドレスってぴったり自分サイズなことは少ないからお直しは必須。お直しに出すなら自分でどこかに持っていかなきゃ行けないから手間も時間かかる。ドレ販だったらその場で着てその場で丈を測ってお直しに出して一週間後にはお店に届くシステムだから、キャバ嬢からしたら楽。アナログだけど実は効率が良い手法で確実に売れるんです。
自分が横浜でキャバ嬢をしていたときはドレ販が主流で、ドレス代も給引きできるから何かと手軽でよかったんですよね。
夜に復帰したのはちょうど1年くらい前。2019年の12月です。これといった大きな理由はなくて、強いて言うなら、昼の仕事もある程度経験してみて、だんだんと夜の世界に戻りたくなったっていう感じでしょうか。
当時、付き合っていた彼と別れたくても別れられない状態にあって心機一転出直したい気持ちもありましたし、お世話になっている社長さん方や、その後入店することになった『舞人』の社長にも「君は表に立つ仕事が向いている」と言われ続けていて、それも復帰する後押しになりました。自分的には裏方的な立ち位置で仕事を回していきたい気持ちが強いけど、需要があるなら、今は表に立ったほうがいいんじゃないかなって。
復帰して思ったのは、キャバ嬢としての自分のウリがわからないっていうことでした。「いまさらそこ?」って話なんですけど、引退前のキャバ嬢時代前半は、運良く太いお客様を掴んで一気に成り上がったので、私には下積みがなかったんです。
いつもそうだったんです。横浜時代も歌舞伎町時代も。
二十歳でアジアンに入ったとき、最初の1カ月はお茶を引きました。毎日オープンから出勤してずっとフリー回りをしていてたら、ある日突然、めちゃくちゃ太いお客様を掴んで、そこからあっという間に売上上位。誕生月に1,200万円のロマネコンティが下りて、普通の日でもアルマンド3本入れて飲み比べとかしているような。飲めなかったら「飲めな~い」とか言って流したりして。それが通用するような状態が日常。
レヴューに入ったときは、アジアン時代のお客様は全部切れていたから、担当から「とりあえずお前は1カ月後には1日平均5組呼べるようになることが目標だな」と言われてました。「絶対無理でしょ」って思っていたけど、呼べるようになってからは自分でもいくら使ってもらっているのか把握できないくらい売り上げてました。お客様曰く、半期でも「良い家が買えるくらい」は使ってもらっていたみたいです。お客様もその方ひとりではないから、全部含めたら1カ月で億を超えるくらいいったこともあったと思います。
当時は、自分がどれだけ売れているのかもよくわかってなくて、担当に「どうしたらもっと売れるか」を聞いたりしてました。でも「そのままでいいんだよ」としか言われない。
若いときから太いお客様を掴むことに長けていたぶん、下積みがないからキャバ嬢としてのテクニックやスキルがなくて、それがずっとコンプレックス。どうしてたまたまた運良くお客様がつくのか未だにわからないです。
ただ、太いお客様ばかりの大変さは誰よりもわかってるとは思います。お金を使ってくれるぶん、自分の時間もキャバ嬢としてのチャンスもすべてを使わざるを得ないので背負うものも重いです。
歌舞伎町時代はお客様の電話で起きてお客様の電話で寝る日々でした。アフターも禁止されていたから本当は別のお客様とアフターに行っていても、深夜の4時、5時にヘロヘロになりながらアフター先のトイレでこっそり電話。お家のふりをして「今から寝るね」って連絡しなきゃダメでした。そしてお客様からのモーニングコールで起きる。そうしないとお客様が病んじゃうから、とにかくお客様を病ませないように尽くしてました。
お店でも他の席に着くと嫌がられるから卓の移動もままならない。新しくお客様を掴むためにフリーに着くなんてもってのほか。
営業中もお客様がかぶらないように、接客は前半の同伴隊と後半のアフター隊とに分けていて、前半の同伴隊は18時頃に待ち合わせして20時から21時に入店。そして23時くらいに終了。そこからから入れ替わりで後半のアフター隊が入店。営業終わりには毎日アフターでご飯屋さんへ。そして朝方には同伴隊のお客様におやすみなさいの連絡を入れる…。毎日そんな生活を送るうちにストレスと同伴&アフターで太りました。
この人の機嫌を損ねたらキャバ嬢としての今の地位がなくなってしまう。でも、いずれは決着をつけなきゃいけない場面がくる。いつかはストレスで自分もつぶれてしまう…。お金より大切なものに気づいた時はこの時です。心が崩れました。お客様の気持ちに応えられないから、お店のほうを辞めました。
徐々に売れて行く人って下積み時代があるから、そのぶん強い。
私には下積みがない。その差って後から出てくるんですよね。復帰したときにそれをすごく感じたし、私には何があるんだろうってすごく考えました。
キャバ嬢のコはみんなそれぞれ武器があると思うんです。とにかく顔がかわいいとか、ノリがいいとか、トークが上手いとか。でも私にはこれといった武器がない。大きな欠点こそないかもしれないけど特筆してこれって思えるものはない。
私、面白くはないんです。面白い人間じゃないことには自覚もあります。
20、21歳のときも、「このコ話は面白くはないけど一生懸命だからいい」って言われてました。お客様がお連れ様に私をご紹介する時も「このコ面白くはないけどとにかく一生懸命だから指名してる」って言ってました(笑)。面白い話もできない、面白い人間でもない、リアクションもキャバ嬢らしくないかもしれない。でも楽しませようって気持ちはきっと伝わってると思う。絶対に手を抜かないしできることはする 一生懸命話を聞くし、話すし、何でも全力でやる。一生懸命がきっとわたしのいいところなんだと思います。
夜に復帰して『舞人』で1年働いて思ったのが、もう一回自分の限界に挑戦してみたいってことでした。アジアンのときは全力だった。レヴューのときも最初は全力を出し切っていない自分もいたけど、それは「アジアンのときはすごかったのに」って言われるのが怖かったから。でも、全力でやったらアジアンの自分を超えられた。この体験をもう一度体現してみたい。それが今、私が目指しているものかもしれないです。自分の限界を超えてみたい。
今のお店『67(ロクナナ)』は、新店だから知名度は低いです。知名度が低いから当然フリーのお客様も少ないです。でも、素敵な女のコや従業員の方がそろっているお店なので、最善を尽くしていけば必然的に知名度も上がってお客様の満足度もきっと上がる、顧客満足度が上がればお客様がお客様を呼んできっと広がっていくだろうなって思っています。
私の場合、仕事となると自分を追い込みすぎてしまう性格なので、そのへん上手に緩急つけつつバランスを取りながら、ロクナナを人気店に押し上げながら自分の理想を追求できたらと思っています♥
引退前のキャバ嬢人生も華やかながら、これからの活躍もさらに楽しみなサリーさん。今後も注目です! ちなみにサリーさんは大の猫好き。サリーさんの影響で猫を飼い始めるお客様もいるんだそうですよ♪
有名キャバ嬢紹介美容・整形・メイク
『ファブリック六本木』 黒咲サリーの クレイジーな美容習慣♡
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