各界著名人との華やかな交際でも知られ、バー経営、YouTuber、タレント、トランスジェンダーモデル、令和の虎…と様々な顔を持つ矢神サラさんを前・後編の2回に渡って大特集!
六本木界隈の重要人物であると同時に、世界的なコレクション、LAファッションウィーク出演や、来季パリコレにも出演決定と世界を舞台にモデルとしても活躍しているサラさん。守備範囲が広すぎるこの御方は一体何者なのか!?
「前編」となる今回は、サラさんが世に知られるまでの来歴を追跡しました♡
バー経営、YouTuber、タレント、モデル、令和の虎出演…と様々な顔を持ち、各界著名人との華やかな交際でも知られるサラさんですが、普段はどんな毎日を送っているんですか?
割と日々決まったパターンかも。昼ぐらいからYouTubeの撮影だったりメディア関係の仕事をしてますけど、主軸はミックスバーの『GENIE (ジーニー)』です。だいたい夜は会食か同伴でごはん、もしくはお友達やお客様とキャバクラ回ったりしたあと、毎日『GENIE』に出勤してます♡
サラさんの来歴からうかがえたら。昔から表に出るような活動はしていたんですか? モデルとか。
モデル活動は昨今の話なんですけど子役はやってました。小学校3年生から名古屋のNHK児童劇団に入っていて舞台やミュージカルに出演したり、『中学生日記』っていうNHKの連続ドラマがあったんですけど、それに生徒役でレギュラー出演したり。週替わりで学生がDJをするNHKラジオの番組に出演したり…あれやこれやと。
『中学生日記』出てたんですね!
若者たちは知らないであろう昔の長寿番組(笑)。そのドラマには一応、男子生徒として出演していたんですけど当時からおかまちゃんだったので、BLの回で“BLを想像される生徒”を演じたりしてました。
でも、そういった活動は中学までですね。高校に入ってからは自分の性別のことや、これからどう生きていきたいかそっちのほうに関心が向いていたので。自分という人間を見つける期間みたいな。
性自認は昔から女の子?
女の子として生きたいし女性として男性が好きなんだってことをはっきり自覚したのは10代ですけど、思えば小さい頃からそうでしたね。かわいいものも女の子の遊びも好きだったし、好きになるのはずっと男の子だったので。そういったことをオープンに話せるようになったのが高校生のとき。そこからはメイクをしたり服装や見た目もより女の子寄りに。
高校卒業後は?
進学するよりお金を貯めて性転換手術を受けたくて。新宿2丁目で働こうと思っていきなりゲイバーの面接に行ってました。2丁目ってニューハーフさんはわりと少ない街なんですけど、当時は今ほど情報社会じゃなかったから知らなくて。それで、「あ、この街は私じゃないかも」と気づき、そこからはいったんバイト生活。
バイトはカラオケ屋さんとかごく普通の昼のバイトですね。で、働きながら情報を集めたり、ホルモン注射をしたり、K-POPアイドルになるべく韓国の芸能事務所のオーディションをたくさん受けたり…。
K-POPアイドルになりたかったんですか?
はい! 今も諦めてないです♡(笑) 少女時代が大好きでオーディションはいろいろと受けていたんですけど、ものの見事にすべて落ち。まあ、そのときは見た目こそ女の子っぽいけど性別は男だし、この人なんなんだろうみたいな感じで受け止められてました(笑)。
バイト時代を経て夜?
バイト時代はそんなに長くはなく、20歳から25歳までは某アパレル企業で正社員やってました。正社員だとボーナスがあるのアゲと思ってww 夜職デビューは23歳のときです。歌舞伎町にある『ひげガール』という老舗のおかまバー。ここでだいぶ鍛えられましたね。上下関係含めてキビしい世界だし、おかまバーって話術や面白さも求められるから。自分の土台はそこで培われたものが大きいと思います。
昼夜ダブルワークしてたんですね。
会社は副業禁止だったんですけど、夜の街は情報も集まるしお金も稼げる、チャンスがたくさん転がってるじゃないですか。それで昼はショップスタッフとして店頭に立って、夜はこっそりおかまバーみたいな。昼夜兼業生活は結構長かったですね。27、28歳あたりは医療事務と看護助手をやっていたので。
サラさんが性適合手術を受けたのは何歳の頃?
23歳です。タイで手術をして現地で1カ月くらい入院しました。戸籍上も女性になったのが24歳のとき。その後、おかまバーから歌舞伎町のガールズラウンジに移籍して、雇われママを3年ほど。そこから28歳のときに独立して、六本木でミックスバーGENIEをはじめたっていうのが私の全夜歴。
サラさんって六本木のイメージですけど歌舞伎歴も長いんですね。
そうなんです、実は。六本木に来てからバズったのでそのイメージなんですけど、夜歴でいうと歌舞伎町も長いです。元々は新宿人生。さまざまな職種の方に出会う場所なのでスルースキルが身につきました♡
それは歌舞伎町だったからこそ?
歌舞伎で長く息してる人ってスルースキル高いですよね。まあ、水商売やってたら毎日が「は?」の連続で、怒ったり落ち込んだりしてたらキリがないから、歌舞伎町に限らず鍛えられますけど。でも、周りを見てるとそう感じるんですよ。現・歌舞伎住人や下積みがこの街だった人って打たれ強いし気にしない力も強いなぁって。
昼職でもスルースキルが高かったらだいぶ生きやすそう。
そうそう。これが低い人ってすぐ怒るしすぐ病んじゃう。それだと疲れますよね。自分の気力体力を温存しておくためにも必要。スルースキルは自分を助けてくれる全人類に必須な技術だと思います。
どう身につけたんですか?
訓練あるのみ! 「まあそういうこともあるよね」とか「そういう人もいるよね」と言い聞かせて気持ちを切り替える。「まいっか、あと70年経ったら全員死ぬし。誰も生きてないし」みたいな(笑)。
時間は有限だから。嫌な出来事や嫌な気分に捉われていたらもったいないじゃないですか。それよりも自分の好きな人や性格がいい人、幸せを感じる人と一緒にいることに時間を使ったほうがいい。機嫌よく過ごすってことに意識を向けてたらスルースキルも上がると思います。
なじみのある歌舞伎町ではなく六本木にバーを出したのは、戦略?
もともとは歌舞伎でしか考えてなかったんですけど、ラウンジから独立するとき結構揉めたんですよ。やっぱりその、独立となると贔屓にしてくれているお客様をそのまま持っていくことになるじゃないですか。店側としては嬉しいわけがないからそこで一悶着ありまして。結果、六本木で開業することになりました(笑)。
知らない街で開業。不安は?
だいぶ。破産する覚悟で来ました(笑)。でも今思えばそれで大正解。六本木だから上手くいったんですよ。新宿で出店できないってなったときはズーンときたけど、やっぱり知らない街っていうところで死にものぐるいで頑張るわけだし、そうこうするうちキャバクラの六本木ブームが来て、アフターバーとしてGENIEも軌道にのりました。ほんと何が功を奏するか、どう転ぶかなんてなんてわからない。思い通りに行かなくてもそのときできることを精一杯頑張るっていうのは大事なことだなと思います♡
六本木進出以降、界隈で名前も知られていったわけですが、全国区でバズったのは何かキッカケが?
世に知られるキッカケになったのは、ヒカルくんのYouTubeのデート企画に出演したことです。それが2023年の1月。その動画がTikTokの切り抜きとかで拡散されて、1,000万再生くらいわーっと回ってそこからですね。
意外と最近?
そうなんですよ。割と近年。ヒカルくんとはその企画がキッカケでめちゃくちゃ仲良くなって。その後もYouTubeにちょこちょこゲストで呼んでくれて。「令和の虎」のレギュラーの話も来て、そこから一気にメディア露出がはじまりました。
「令和の虎」出演の経緯は?
それもヒカルくんキッカケですよね。ヒカルくんから桑田龍征(ホストグループ『NGG』オーナー、実業家)を紹介されて今やマブダチなんですけど、彼がやってる“通販の虎”に出て欲しいと言われ。そこから本家の令和の虎からも声がかかり、レギュラーが決まったのが去年の秋。
モデル業はいつから? 世界で活躍してますよね!
それも去年の話で。とある会食で『elite model Japan』というモデル事務所の社長さんと同席する機会があったんですけど、そこで身長の高さと骨格を見初められてスカウトされました。
骨格?
「サラちゃんはthinなスタイルだから」と。thin=薄いという意味なんですけど、「骨格的にもモデル向きだし世界に推せる、一緒に目指そう」と言って頂いて。
『プロジェクト・ランウェイ』というアメリカのリアリティ番組があるんですけど、そこで優勝したKentaro Kameyamaさんのブランドのオーディションを受けたら受かりまして。あれよあれよという間に気づけばロサンゼルスのファッションウィークまで行っていました。ちなみに来年のパリコレも決定しました♡
いろんなチャンスが次々と舞い込みますね!
ね、ほんとにここ1、2年どうしたんだろうみたいな。自分でもすごいなって思ってます。有名になりたくて頑張ってきたわけではないけど、人間いつ花開くかわからないもんですね。ラッキーな出会いが重なって、周りの人たちからたくさんチャンスをもらって今の私があるなって思います。
人付き合いや仕事で心掛けていたことは?
日々やってることは変わらないんですけどね。だから積み重ねの結果なのかなと思います。ぽっと出っぽいですけど、23歳で水商売をはじめて花開くまでで考えたら9年。意外と下積み長いので。その間、ただただ一生懸命に目の前のタスクを日々クリアしていただけというか。私が大事にしているのは「毎日やるべきことを続けること」と「ブレずに自分を貫く」これだけなので。
「ブレずに自分を貫く」というと?
自分の心に従うってことですかね。自分という存在をこう、変えないこと? 腑に落ちないこと、やりたくないことはやらない。「私はこう思うから絶対そこは譲れない」みたいな。
「それわかんない」と思ったら私、「なんでですか?」って聞いちゃう人間なんです。それが何であろうが相手が誰であろろうが聞くし、思ってることは言いますね。「それ、おかしくないですか?」って。「私はこう思う。だからこうしたい」と。
勇気がある!
でも別に喧嘩売ってるわけじゃないんです。聞いて納得できることだったら納得するし、自分が折り合えるか折り合えないかだから。折り合えなくても、たまたまそこは意見の相違があったねってだけなので。話し合うことを怖がる必要ないですよね。お互いを知るためのステップみたいなものなので。
ただ、納得できないけど言うこと聞かざるを得ない、みたいな場面はこれまでたくさんありました。「やりたくないからやらない」って自分に実力がないとできないことでもあるから。それで悔しい思いをしたこともいっぱいあるけど、その悔しさをバネにもっと売れようみたいな。自分を貫けるようになるために頑張ってきた、そういう人生だったかな♡
どんどん活躍の幅が広がっているサラさんですが、どこまで行っちゃうんでしょうね。
ねぇ〜。でも、私の将来の夢は10代の頃から変わらずK-POPアイドルです。割と本気で真面目に(笑)。「サラちゃん何目指してるの?」てよく聞かれるけど、その度に真顔で「K-POPアイドルだよ」って答えてます。少女時代に入ろうと思って東京出てきたので、今も諦めてない!
だからお店の名前もGENIE?
そうです。やっぱり私の目指したい女性像の原点は少女時代なんです。日本デビューの(“GENIE”の)PVの印象が強く残ったままで。だから生き方と美のあり方のロールモデルは10代の頃から少女時代の皆さん。あんなふうにずっと美しくありたいです♡
サラさんのこれまでと生き方を掘り下げた「前編」に続き、次回「後編」はサラさんがなぜ愛されるのかに注目。周りから推される人になるヒントが詰まっているのでぜひ参考にしてみて下さい。近日公開ですのでお楽しみに! (取材・文/ささきみどり)
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