銀座にビル一棟の会員制クラブ「クラブNanae」をオープンさせた菜々江ママ。銀座という街で生きていくこと、ビル一棟という他にはなかなか無い大きな規模のお店をオープンしたきっかけなど色々教えていただきました。近頃TVでも話題の菜々江ママのストーリーに迫ります♡
【プロフィール】
生年月日:1974年4月9日生まれ/身長:158㎝/血液型:A型/出身地:東京都
息子を引き取り育てるため、銀座の世界へ
いきなりですが、このお仕事を始めたきっかけを教えてください!
私には大学4年生になる息子がいるんですけども、当時、息子を育てるために稼がなきゃいけない状態にあったんですよね。
離婚をして、息子を引き取り、育てるためにお金が必要だったというのがこのお仕事を始めたきっかけです。ある程度収入がないと、子供を引き取ることってできないんですよね。ただ、うちも結構厳しくて親戚中から猛反対にあっていたんです。「子供を一人で育てていくのがどれだけ大変かわかってるのか」とか「お金はどれだけあるのか!」とか。
少し変な話になるんですが、私 松田聖子さんがとっても好きなんです。松田聖子さんも女性でお子さんを引き取ってるじゃないですか? なので当時も親戚にそういう話をしたら「そんなくだらないこと話すんじゃない!」みたいな感じで聞き入れてもらえませんでした。まず自分が稼げる道を作って大成しないと、誰にも認めてもらえないんだっていうのがありましたね。
じゃあ、最初の頃は「いつかママになるんだ!」みたいな野心があったわけではなく…?
ママになんかなれないと思ってましたね。昔のクラブのママたちをみていて、私は子供もいるし銀座で働き出した年齢も遅いと思っていました。それよりも、「とにかく成功して子供を引き取りたい!」という気持ちが強かったです。当時は埼玉に住んでいて、そこから銀座まで通って…寝ないで働いてた時期も結構ありましたね。
でも、そうやって無我夢中で働いていると、お金はあとからついてくるものなのかもしれないと思うようになったんです。寝る間を惜しんで日々働いていたら「ママにならないか?」と声をかけていただいて。それが28か29歳くらいのときです。銀座に来て3〜4年経った頃ですね。
銀座に来て3〜4年でママになるって、かなり早いと思うんですが皆様それくらいが普通なんでしょうか?
いや、早いほうだと思いますよ。私の場合、銀座に来る前に働いていたお店から結構お客様がついてきてくれたので、それも大きかったと思いますね。
ママになって、最初の頃どうでしたか?
ママになることがゴールじゃないですけど、ちょっと一段落できるのかと最初は思っていたんです。でもそれが全然で。逆にコレはスタートなんだ! って思いました。
お店のことも、お店で働く女の子のことも抱えていくことになって。イチ営業マンとしてお客様を呼んで売り上げをあげていけばいいだけじゃなく、ママとしての立場を課せられると言うか…。
女の子のケアをしつつ、お店のことも考えつつ、自分は自分でお客様を呼びつつ…ということですかね?
そうなんですよ。単純に仕事量がすごい増えたなっていう感じですよね(笑)。
しかも、女の子のケアとか大変そうです…。
あのー…私をママにしてくださった、今はもう銀座にいない副社長の男性がいるんです。その方から「3カ月以内に右腕をつかもうね」、「そのためにはこうやってやるんだよ」とか色々教えていただいていて。女の子の気持ちをちゃんと考えたりとか、女の子に対して良かれと思って真剣に接することができなければ右腕や左腕は掴めない。昔は私もそれがわからなかったのですが、段々「あ、そういうことか」とわかってきました。
ママになってからは、女の子から「同伴できないんです!」とか「辞めたいんですけど」とか「彼氏がー!」といった色んな相談事がきますね。そういう仕事がママになって一気に増えたというか。
女の子からの相談事に対して、ひとつひとつアドバイスはするんですか?
そうですね。話が大きいとごはんを食べに行ったりもします。やっぱり土日が一番時間があるので、土日に電話しておいでって言ったり。普段はメールやラインもよくしますよ。
それって大変ですよね。お客様とやりとりしながら女の子ともやりとりして…お店にいるとき以外まで。パンクしたりしないですか?
私は一人っ子なので、人とずっと接しているということにあまり慣れてなくて、最初は戸惑いがあったと思うんですよね。
「私の時間がないわ!」とか。たとえば男性とおつきあいしても「なんで君は常に電話とメールをしてるの」って言われちゃうんです。土日もお客様に呼ばれたり、女の子を連れてどこかに行ったりすると「僕のことは大事じゃないんだね」って言われたりすることはありましたね。最初はそれもしんどかったと思うんですけど、でも慣れましたね(笑)。 それが今は普通になっちゃったんで。今ではおつきあいする人がそんなことを言ってきたら「はぁ!?」っていう(笑)。
「私が銀座のママやってるってわかってて、おつきあいしてるんですよね? 当たり前の話ですよね?」と思っちゃいますね。
毎朝11時に届くFAXで昨晩の反省をするのが日課
1番最初にママになられたとき、なにか意識していたことってありますか?
ひとつのお店に長く勤めるということを心がけるようにしました。ちゃんとした実績を作っていきたいなと思ったのと、フラフラしているとあんまり印象が良くないと思ったので。あとはやっぱり、有名店で「あそこはいつも満員だよ!」って言われるお店に思いきって入っていって、そこでナンバー1でいつづけたいなって自分に課したこともありましたね。
それは自分に自信をつけるためですか? それとも知名度のアップとか…。
「あそこのお店すっごい流行ってるよね。ママ誰だっけ?」って話題になったときに「誰々ママと誰々ママと…」っていう会話になるじゃないですか? その数人いるママの中で、絶対に1位をとってやろう!みたいな。
そういうことにあえて挑戦すると心が折れることもあると思うんですが、そういうときってどうすれば続けられるんですか?
私の場合は、やっぱり仕事をしていましたね。
土日も関係なく、寝る時間も少なくて。当時、事務所の人に頼んで毎日おこなっていたことがあって。私の部屋に出窓があるんですけど、そこにFAXを置いたんです。事務所が朝11時から始業で、その時間になるとFAXが流れてくるんですよ。それは前日の自分の売り上げ伝票とトータルの数字と月の累計数字をだしてもらって、それをFAXで送ってもらっていたんです。そうすると昨日の反省ができるっていう。たまに酔って忘れていたりすると、「あ、そうだこのお客様にこうやって言われたんだ!」とか「このお客様にシャンパン3本いただいたんだっけ、すぐお礼しなきゃ!」って思い出せる。
ただ、数字を見てると「先月よりいかないかもしれない」とか不安になるじゃないですか。月の1/3終わった時点で前月の半分くらいの数字いってないと怖いですよね。FAXの音で嫌な目覚め方をするっていう生活を毎日繰り返していました(笑)。
でもあえて事務所の方に頼んで、そうしていたっていうことですよね。自分にムチ打つというか、甘やかさないですね…!
自分の目標数字から絶対に欠けないようにしてましたね。「あ、このペースまずいかも」って思ったらすっごく営業してました。朝方酔ってても、「あのお客様が起きる時間だ」って思ったら連絡したり。携帯持ったまま寝るときもありました。で、またFAXの音で起きて、また他のお客様に連絡して…。
え、じゃあもう切れ目がなくないですか?
ないですないです! そういう時期がしばらくありましたね。そういえばその間はテレビも観てませんでしたね。テレビを観てる時間が怖くなるんです。「私テレビなんか観ててサボっちゃった」っていう気持ちになるんです。「仕事しなきゃ、お客様に連絡しなきゃ!」って。子供の面倒もあったし最初は自宅も遠くて人よりハンデもあったので。お風呂に入ってても、たまには湯船につからなきゃと思いつつ色んなことを考えるんですよ。たとえば「あのお客様、来週東京に来るって言ってたな」とか「そういえばあのお客様、あの最中がおいしいって言ってたな、買っとかなきゃ!」って。それをお風呂から上がって書くんですよ。お風呂に携帯、メモ、ペンは持ち込んで入ってましたね。ちなみに今でも携帯はお風呂に持ち込んでます(笑)。
つまり常にONってことですよね!
そうですね、頭のなかは常に。
今はオーナーママになって目線が変わったので、やることも増えて追いつかないですね。今度は資金繰りだとか、出資してくださった方に定期的に報告したりとか。あとは毎日の売り上げとホステスのお給料のパーセンテージを毎日見ないといけなくて。
それってお客様に連絡するのと、頭使う部分が違いますよね。
もう全然違いますね。ママになってわりと長いので、日々お客様に連絡することってなくなってきてたんですよ。もう女の子と黒服の対応をずっとしていた感じで。そこにプラス事務的な事と内装、資金繰りっていうのがあわさって。お客様には、お休み中にメールしたり大型連休にお手紙とお土産を贈ったりとか、そういうことしかしてなかったので。
お客様にお土産やお手紙を贈るのって銀座のならわしなんですか?
そうですね。銀座独特なのかな? 六本木や新宿でもされるとは思いますが、どこまでされるのかはわからないですが。
銀座はミーティングでも、担当黒服にも、「そろそろお中元に取り掛かりましょう!」と言われますから、自然と癖がついていくのでしょうかね。
ビル一棟3フロアを切り盛りするオーナーママに!
ビル一棟で3フロアあるってすごいですよね? なかなかない規模のお店だと思います。
3階はカラオケダイニングなので別ですが、思い切って、丸々借りました!
内装のこだわりはありますか?
1階の天井が高いので、シャンデリアを大きくしたかったんです。天井の高さを見せたくて。あとは鏡を入れて空間を大きく見せたりとか。
どこに行けばこんなに大きいシャンデリアが買えるんですか?
これは内装屋さんに作ってもらいました。いろいろ打ち合わせして特注で。3階のカラオケ個室ダイニングにも同じシャンデリアがあるのですが、それも特注で全部同じ内装屋さんに作ってもらいましたね。
ちなみにおいくらくらいするものなんですか?
いくらなんだろう? 内装屋さんにまとめてお願いしたので、わからないですね。かなり高額でしたけどね。
他に店内のポイントはありますか?
2階には白いピアノがあるんです、自動演奏つきの。ピアニストの方が休んだら音鳴らないのが微妙かなと思って(笑)。 店内のイメージに合わせて白いピアノにしたんです。でも白いピアノってなかなか無いんですよ。中古も探したんですけど全然無くて。受注生産だと10カ月くらいかかるって言われて、それだとオープンに間に合わないので…。私も調べて調べて十何件電話してたんですけど見つからない。どうしようと思っていたら内装屋さんから「白いピアノ、1台入るよ!」って電話が入って。運が良かったですね。
このビルでお店をオープンする前は?
私、クラブ自体は初めての独立なんです。ずっと雇われママを15年くらいしていて。このお店は今年の6月27日にオープンしました。
たしか、ワインバーを経営されてませんでしたっけ?
「ワインBar SWEET MEMORIES」というお店ですね。小さいお店なんですけど10年くらいやって、ミニクラブも去年1件だして。そこはオーナーとしてやってたんですけど。なので経営の勉強はしていたと言えばしていた感じですね。
ワインバーとミニクラブはなぜお店を出されたんですか?
当時、家具付きマンションみたいなところを借りて個人事務所みたいな場所を構えたんです。事務仕事が追いつかなくて、男性を1人雇ったんですよね。そのときリーマンショックとか色々あって銀座の家賃が下がった時期で。物件の空きも結構あったので、その男性と話して「事務所と同じ家賃だったら近くに移動してワインバーでもやる?」みたいな。もともとワイン好きで、ワインもいっぱい持っていたからなんですけど、完全に思いつきでしたね。
小さいお店で家賃も高くなかったので、1日1組アフターでお客様が入れば黒字だね、みたいな感じだったんですけどそこが大ヒットしてしまって。2年間くらいずーっと満卓でした。私のお客様が来てくれたり、他店の仲良くしていた女の子や、辞めた子も「ママがお店始めたんならアフターで行きます!」って言ってくれたりして、気づいたら満卓で。小さいお店だったので、お客様に「10人なんだけど」って言われると全然無理なんですよ。ごめんなさいって断ることが増えて。
で、あるとき「お前さー、もうちょっと広い店にしろよ」って言われて、私も真に受けてワインダイニングを開けたんです。43坪くらいのまぁまぁ広いところで、カラオケ個室も作り、カウンターも作り、シェフも入れて本格的料理もありの店だったので…。でも広すぎて、思ったように人が来ないんですよ。
「もっと広い店にしろよ」って言った人が来ない。そして意外な人が来る(笑)。 そこがすっごい大変で。営業側と技術側が対立しちゃったりもしました。営業側は水商売上がりの店長で、シェフやバーテンダーは技術者側で。深夜にアフターで来たお客様が「この烏龍茶あたためて」とか「焼きそばつくれないの?」って言ったりすると、「うちイタリアンなんですけど」ってなったりして。それでいて、大変なのに赤字で。
1〜2年経ったところで、売却か誰かに又貸しするか考えて、結局お客様が買い取ってくださったんですけど…。そんなこともありましたね。でも、挫折も経験してよかったなって思えます。赤字の恐ろしさ…。毎月月末が近づいてくると、支払いとお給料のこと考えるとブルーになるので。
小さいお店でワインバーをしていたときのほうが黒字だったんですね。
そうなんですよ! いろんな占いの先生とかにみていただいて同じように開けた店舗でもやっぱり違うんだなって思いました。
あと、飲食店を何百店舗もやられているお客様にアドバイスされたのが「うまく黒字でやっていけてる店舗は閉めちゃダメだ。それを他の場所に移した途端、赤字になることっていっぱいあるから」って。本当でしたね。で、結局またワインバーを開けました。そうするとお客様が入るんです、不思議ですよね。
ちなみに今のお店で初めて独立されたとのことなんですか、なぜ今のタイミングだったんですか?
本当は途中でしんどくて辞めようと思った時期があったんです。精神的にも体力的にもどっちも(笑)。
もう引退したかったんです。結婚したかった時期もありましたし。ただ、お金を頼れるような相手じゃなかったので、ある程度貯金したら海外の物価が安いところで細々暮らしていこう。向こうでワインバーをやれば食べていけるかなぁみたいな。でも結局結婚しなくて、貯金もそこまでできずで辞められなくて。で、あるとき開き直ったんです。おととしくらいにプライベートで変化もあって「私は多分この先、結婚はないんだろな。きっと銀座で生きていくんだ」と腹をくくって、そこから徐々に物件も探し始めていろんな準備もしつつ、という感じです。
オープンしてみてどうですか?
オーナーママの先輩たちから色々聞いていたし、過去に自分でやってきたお店もあるので覚悟はしていたんですが、それ以上に大変でしたね(笑)。楽しいですけど。
今後の目標はありますか?
まずは安定した安心な経営をしていくこと。あと、人のために生きないと…と思っています。女の子も黒服も、もっと話を聞いてあげてもっとよくしてあげないと。みんながもっといい人生をおくれるように。色々話をして、よくなるための手助けができればいいなぁと思います。
人って「自分が自分が」になりがちですけど、そうじゃないんですね。
銀座っていう街が一対一ではなく連携プレーなんです。もっと言うと同じお店だけでなく、銀座全体での連携プレー。お店によってはライバル店とかあるかもしれないんですけど、結果的には、そういうのは無いほうがうまくいきます。いろんな横付き合いもしますよ。私のお誕生日とかオープンになるといろんなお店のママや社長が来てくれて盛り上げてくれるんです。私も招待状が届いたらGoogleカレンダーに入れておきます。あと菓子折りとお手紙が来たらお花を出すとか、銀座ならではのシステムみたいなものもありますね。
お互い様っていう感じがしますね。
共存意識というか、自分のところだけじゃなく他店も盛り上がってると「銀座全体が盛り上がるからいいね」っていう考えですね。私たち「銀座村」って言うんですけど。ママ同士もお互い気持ちがわかるので妙な一体感があるというか。それがおもしろいですよね。
最後に、このお仕事をしていく上での信念を教えてください!
自分よりも人のことを大事にして、よくしてあげることですね。その気持ちは私がママになる前、私のことをステップアップさせてくださった方が「自分の中に少しでも悪い心があったら、それは下の子に伝わるからね」って言ってくれて。その言葉を聞いたあたりから、「私のことはいいから。あなたのためにやるわ」って思えるようになりました。そういう風に行動しているとそれが当たり前になってきますし、さっき言った「みんながより良い人生を送れるように」という考えに繋がっていきますね。
トップでいつづけることの大変さはもちろん、銀座という日本の頂点の地にお店をかまえることの凄さ。そしてそんなすごいことができる菜々江ママの人間性は、やはり素晴らしいものでした。「あなたのために」動ける精神はぜひマネしたいもの。そしてこれからの菜々江ママの活躍、お店の発展にも大注目です!
クラブ ママゲスト
SNS進出、新事業スタート、銀座の顔・菜々江ママの新しい試みとは?
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