あの頃があったから今がある♡ キラキラしているあのコの知られざるアナザーストーリー。何かと危なっかしくて目が離せない六本木の心配ガール・愛花さんの青春時代をプレイバック!
激ヤセ、家出、JKビジネス、漫画喫茶に在住1年…etc。パンチが強すぎて初登場コラムではちらりと触れるにとどめた、愛花さんのさまよう10代を詳しくうかがいました!
愛花さんは10代から芸能活動をされてましたけど、やりたくてやっていたわけじゃなかったって言ってましたね。
『Hana*chu→(ハナチュー)』っていうティーン誌でモデルオーディションがあって、中1の頃に自分で応募してそこから。始めたのは自分なんですけど途中からは親が喜ぶからやってました。
自分で応募したんですね。
お母さんにホメられたくて。何もできないから何かしなきゃってずっと思ってたんですよ。勉強できない、運動もできない、かわいくもない、学校も上手く通えない、だったら他に何かしなきゃって。唯一身長は高かったからモデルになろうと思って。その時点で今の身長(165cm)と同じくらいだったからそれで。
オーディションではグランプリを獲ったんですけど、専属モデルのオーディションかと思いきや芸能事務所とコラボオーディションで。その事務所の芸能スクールに1年間通わなきゃいけなくて。ハナチューには読モとして出られるだけだった(笑)。まあでも、芸能活動を始めてからはお母さんも応援してくれるようになったんでそれは嬉しかったです。
グランプリすごいですね。
中1の時点で二重の埋没手術やってたんで。グランプリも2人いたし。
芸能スクールに入ってからは大変でした。ヤセなきゃいけなくて。そのときは体重は47、48kg。今のマックス体重くらい。決して太ってはいなかったんですけど、当時はモデルだったらガリガリじゃなきゃいけない、細ければ細いほどいいみたいな時代だったから。しかも一緒にグランプリとったコがすごくヤセてたんです。そういう体質なんだと思いますけど39kgとかで。2人で並ぶとバランスが悪くて。「7kgヤセないと雑誌には載せてあげられない」と言われ、そこからダイエット生活が始まり…。
165cmで40kgにならなきゃってことですよね!? 過酷。
そのときグランプリの2人をアイドルデビューさせるみたいな話もあって、「あなたは夏休みが終わるまでに7kgヤセないと一緒にデビューはさせない」って言われて。えー!みたいな。それ聞いたお母さんもヤル気になっちゃって。毎日ごはんがこんにゃくステーキとパセリ。中学生だったからしんどかったです(笑)。
中学生じゃなくても無理では。
今思うとご飯が出てこないっていうのもちょっとあれですけど、ヤセなきゃって毎日7km走ってすごい頑張ってました。でも、そもそも太っているわけではなかったから7kg落とすの難しくて。しかも食べてなさすぎてお通じが来なくなっちゃったんですよ。給食も食べて来るなっていう感じだったから。
それでお母さんに相談したら下剤を渡されて。下剤飲むと水分も抜けるから体重落ちるんですよ。それ以来下剤に頼るようになり7kg落ちたあとは逆に過食に…。ご飯をずっと食べてなかった反動で欲が爆発しちゃって。なんでずっと食べちゃうのかわかんなかったんですけど、ただひたすら食べ続けて下剤飲むみたいな。そのうち飲まないと出ないようになっちゃって。そのときは気づいてなかったけど病気ですよね。摂食障害。
下剤って耐性がつくからどんどん飲む量も増えていくんです。10年飲み続けてヤセすぎで入院したんですけど、そのときは200錠飲むまでになっちゃってました。
アイドルデビューはその後どうなりました?
それが、私だけデビューさせてもらえなかったんです! もう1人のグランプリのコは私の知らないところで別なコとデビューしてました。
なんで!?
なんでなんですかね。気に食わなかったのかな。あれはほんとトラウマ。ショックでした。悔しかったけどハナチューのほうでモデル頑張ろうみたいな。
芸能スクールは1年間で最後に公開オーディションっていうのがあったんですよ。そこにいろんな芸能事務所の人たちが来て、ウォーキングとか見せて声を掛けてもらうっていう場があって。自分だけデビューできなかった悔しさがあったから「あのコに絶対勝たなきゃ!」と思って1位をとって事務所に所属して、ここからタレントみたいな活動もスタート。
リベンジ!
この頃はまだ芸能活動自体は嫌ではなかった。モデルのお仕事は楽しかったし、コカコーラのCMに出たりして。そういうのは好きだったんですけど、ちょっと入る事務所をミスったんですよ。俳優事務所みたいなとこに入っちゃって。舞台とかミュージカルとかやらせられてそれがキツくて。やめたいなと思い始め…。
ハナチューは中学いっぱい?
そうなんですけど中3の頃にハナチューが休刊! そこからは芸能活動自体、自分の中で半分くらいもういっかってなっちゃってました。ただ、私がそういう活動をしていれば親が喜ぶし応援してくれるから。それだけのために続けている感じ。それも中学卒業する頃には『もうやめたい』になり…。
そして中学卒業後に家出…。ちなみに高校は?
一応入りました。池袋の通信制の高校。すぐやめちゃいましたけど。家出は高校入ってすぐくらい。家族にバレないタイミングを見計らい「今だ!」みたいな感じである日スッと。
携帯も持たずに出たんですよね。
はい。持ってたら見つかると思って。荷物もほぼ何も持たず池袋の漫画喫茶へ。年齢確認がなくて完全個室で1日千数百円みたいなとこがあったんですよ。
家を出たときは所持金は数千円。1万円もなかったと思う。でも、中学卒業していればJKリフレやJKバー、いわゆるJKビジネスと呼ばれる仕事もあったし、メイド喫茶もあるし働き口には困らなかったです。それで最初は池袋のJKリフレで働いて、その後秋葉原に移ったんですけど拠点はずっと池袋の漫画喫茶でした。
家出はいつから考えてたの?
昔から出たかったんですよ。家庭環境が複雑で。小4でお母さんが再婚したんですけど、新しいお父さんとあんまり仲良くなくて。中学出たら家を出ようってずっと考えてました。
漫画喫茶暮らしはどのくらい続いたの?
1年くらい。JKバーで出会ったお客さんに拾われて水揚げされて脱しました。お客さんと店外というかダブルデートみたいな感じでスキーに行ったんですよ。それで、みんなそれぞれお家に送り届けて最後に私が残って。漫画喫茶で下ろしてもらったら、「こんなとこ住んでんの!?」ってびっくりされて。何もしないから俺んちおいでよと言われ、結局そのままその家に住み着いた形。
一刻も早く湯船に浸かりたいとか、ベッドで寝たいっていう気持ちが勝っちゃって。最初は何日間か泊まらせてもらえばいいやって思ってたんですけど。ちゃんとしたベッドで寝たら漫画喫茶のシートにもう戻りたくなくて。シャワーとかも予約制だしツラかったから。ヤバイ湯船最高!みたいな。漫喫暮らしに疲れ果ててたんでしょうね。その人とそのまま付き合って同棲しました。半分好きっちゃ好きでしたけど、家を好きになったみたいな感じでしたね。野良猫から飼い猫になりました。
おじさん?
いや、27歳の普通の若者。いい人でした。今考えたらロリコンですけどね。その人実家に住んでたんですけど二世帯住宅? 下の階に親世代が住んでてその人は上の階。それぞれ独立した作りでいいとこの子っていう感じのお家。お父さんお母さんとも会えば普通に挨拶してました。私の見た目が大人っぽかったんで特に怪しまれることもなく干渉されることもなく。
そのお家に住み着いてからは専業主婦みたいな生活してましたね。食費もらってご飯作って家にいました。友だちと遊びに行くときやお金が必要なときは、その都度お小遣いをもらうシステムだったんですけど、申し訳ないのでそういうときはこっそりバーに出てバイトしたりして。
どのくらい一緒に住んでたんですか?
ここのお家には18歳まで。世間の高校生が卒業する頃くらいまでいました。そのときプロポーズされたんですよ。でもまだ遊びたいし。「16で出会って一生この人?」と思ったらちょっと…。それで家を出て実家に帰ったんですよ。でも、何もなしに戻るの申し訳ないなと思って。「芸能活動もう一回やるから」と言って戻りました。
こんなに長期で家出してて大騒ぎにはならなかったんですかね? 捜索願い出されたりとか?
特に何もしてなかったと思う。高校時代に相当する期間まるっと音信不通でしたけど、家に帰ったら何事もなかったように「おかえり」みたいな。普通でした。
そしてまた芸能の仕事を始め…。
家族は芸能系のことしててほしいみたいで、そっちで頑張っているとサポートしてくれるからそれが嬉しくて。とはいえ18歳とかになると稼ぐ方法が増えるので平行してラウンジでもバイトし始め、いろいろあって現在に至ります。
家出してた3年を振り返ってみると?
楽しかったですよ。決してツラいことばっかりではなかった。むしろ私の中では良い思い出になってる。仲間とか友達もいっぱいいたし。今でいうトー横キッズみたいな感じで“渋メン”っていうのがその頃流行ってて。渋谷のバーキン横(渋谷のバーガーキングの横)にティーンがたまってたんですよ。学校に行き場がないコとか、私みたいに家出してるコもいっぱいいて。遊ぶときはそこ行ってました。
愛花さん渋メンだったんですね!
何気に(笑)。渋メンからは某歌手の方とか、結構カリスマたちも生まれていきましたよね。
渋メンはトー横キッズよりギャル文化寄りですかね。
ギャルっぽいコ多かったですね! トー横キッズみたいなって言ったけど渋メンはもっと健全というか青春感ありました。学校で行事に参加できないコたちだったから、自分たちでイベント打ったりして。大人の人たちに企画書を出して箱借りて、渋谷歩いてる普通の高校生たちにチケット打って文化祭みたいなイベントするとか。私もダンスを披露したりしてました(笑)。
渋メンの中でもいろんなグループがあって、それぞれいろんなイベント打ってましたよね。高校2年生だったら2年生だけで高2祭が開催されたり、私立の学校のコも多くて青学のコたちだったら青2祭とか学校ごとにイベント開催したり。楽しかったな。
愛花さんの青春時代。
そんな感じです。家出もバイトも渋メンも全部ひっくるめてあの頃が私の青春だったのかなぁって思います。若いうちに生活レベルがかなり低い生活を経験したのも自分的にはよかったと思うし。この頃のことがあるから今多少嫌なことあっても何とも思わないんですよ。自分でお金稼いでふかふかのベッドで眠れるって最高みたいな。なんで今めっちゃ幸せです♡
芸能活動から渋メン活動まで、愛花さんの知られざる10代をお届けしました! 愛花さん、たくましく生き抜いてきたんですね。感慨深いお話でした♡
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