『club蓮 上野/錦糸町』2店舗のプロデュースを務める藤咲めいさんがメゾンドボーテ初登場! 錦の赤字キャストから始まり歌舞伎町の1,000万プレーヤーになるまでのキャバ歴、若くしてプロデューサーに転身した経緯、そして野望…。「生き急ぐあまり考え方が卍だった」と語るめいさんの夜ストーリーをお届けします♡
『club蓮』の上野店と錦糸町店、2店舗のプロデュースをしている藤咲めいです。
プロデューサーの役割としては主に広報・求人・広告・コンサル。それぞれのお店へ週に1回ずつ行って女のコと面談をしたり営業講習をしたり、黒服さんたちと面談して担当の女のコとどんな感じかを聞いたりしています。
他にもモニターで流すPVのディレクションや、お店のLINE @と公式インスタグラムの管理。LINE @に来る求人の対応もしているので裏方って感じでガチで動いていてますし、指名のお客様のみキャバ嬢として接客もしてます。
2つのお店どちらに出勤するかはその日の来店予定しだい。店と店が車で10分くらいの距離なので上野で接客したあと錦糸町に移動なんてこともあります。
キャバ嬢を始めたのは名古屋で大学生をしていた二十歳の頃。お店は『ザナドゥ』っていう錦の老舗キャバクラ。夜一本でがっつりやり出したのは大学を卒業してから。キャバ嬢として成り上がりたくて上京もしました。
将来好きなことをやるためにも自分がまず影響力を持てるような人になろう。そのためには歌舞伎町とか都会のキャバクラで成功するのが近道だと思っていたので。
東京で最初に働いたお店は歌舞伎町の『キングダムクイーン』。ここには1年いました。その後『セリュックス』に移籍して1年。六本木の『ルーベル』が9カ月。次が新宿の『ファブリック』。結構お店を転々としてますけど、1年以内にお店を変えるっていうのがマイルールだったんです。
同じお店にいるとやりやすくなっちゃうと思って。長く在籍して売上も立てていれば黒服さんも良くしてくれるじゃないですか。それじゃ成長できない気がして。「そんな甘えてちゃダメだ! どこ行っても私は私の力でやっていくんだ!」みたいな感覚で。
1年近く働けばみんなと仲良くなるし居心地も良いから全然移籍したくないんですけど、「友達作りに来てんじゃねえ! 攻めの攻めだ!」くらいの気持ちであえて移籍してました。若かったのでだいぶ尖ってた。生き急ぐあまり考え方が卍でしたね(笑)。
お店を転々とするのは落ち着かないけど良い面もいっぱいありました。適応力やコミュニケーション能力も磨かれたし、いろんな店舗に行ったことで交友関係も広がったので。「友達作りにきたんじゃねえ!」とか思いながら友達いっぱいできてました(笑)。
マイルールといえば、「収穫のない日を作らない」ことも自分の中のルールでしたね。毎日何かしらの成果を必ずあげる。予定がくずれてお茶を引いてしまった日は、自分への罰じゃないけど押し掛けアフターをすることにしてました。営業終わりに「女のコ足りてない席ない?」ってサパーの人にめっちゃ連絡するんです。アフターで女のコが足りなかったらヘルプで行くから紹介してくださいって。
よくあるじゃないですか。アフターの約束したのに結局女のコが来なかったとか。誰も呼べなかったとか。3人で飲んでて自分だけ女のコがいないとか。そういう席に呼んで頂いて、「よろしくお願いします。藤咲めいです!」みたいな。お茶を引いて1日終わったらその日の収穫はゼロ。でも、アフターで営業すれば少なくとも種まきにはなるからゼロじゃない。
売れるためだったら恥ずかしいとか気まずいとかないです。名古屋時代、指名がなさすぎて「予定ができるまで出勤してくるな!」と言われたときも、営業終わりに店の下でナンパして同伴してくれる人を探しました(笑)。
おじさんに「よかったらこれから一緒にご飯どうですか?」って声を掛けて。ご飯を食べたら「明日よかったら同伴してもらえないですか」とお願いしてみる。今考えるとヤバい女ですよね。でも、赤字キャストだったので、抜け出するためにはやれることやるしかない(笑)。
「お前ヤバいね。同伴してやるよ」って言ってくれた人もいたので無駄じゃなかったです。12,000円のポンパドールっていう都内には置いていないような安いシャンパンを入れてもらうのが精一杯だったけど目的は出勤することだから。出勤さえできればフリーに着いてお客さんを掴むチャンスはあるので。
夜歴丸6年の中で最大の転機といえばやっぱりコロナかもしれない。最初の緊急事態宣言で自粛生活に入ったときに、この先どうしていくか次のステップを真剣に考え始めたので。
当時はファブリックに在籍していてキャバ嬢としても一番調子が良かった。月1,000万売れるくらい成績も伸びてたし。それが入店して7カ月経った頃、世の中がコロナ禍になっちゃって。
いつコロナが終息するか先が見えないし景気が戻るかもわからない。そんな中でこれまで以上の結果を出せるのかなって考えたら自信がなくて。お客様に求められてもいないのに「お願い来て来て」って必死に営業して、「めいちゃんヒマらしいよ」って噂されながらジリ貧になっていくのは嫌だなって(笑)。
だったら一番調子が良いときに上がって次の展開につなげていったほうがいいいかな。キャバ嬢というキャリアを生かして違うことをしていったほうが先がありそうだなって思いました。
今の自分に何ができるか考えたとき、そんなノウハウっていうほど素晴らしいものは持ってないですけど、錦糸町や上野といった郊外のキャバクラのプロデュースやコンサルだったら、マーケティング的に自分にもニーズがあるかなと。
それでお客様にKEIYOグループの方とつないでもらって自分から売り込みました。「こんなことができますがプロデューサーとしてどうですか」って自らプレゼン。
コロナがなければ今も100%現役でモブな感じでやってたと思います。モブは言い過ぎだけどそこそこくらいでやってたんじゃないかな。知ってる人は知ってるけど大体の人は「藤咲めい? 誰?」みたいな立ち位置で。
現役を上がるって決めたのも自信のなさが大きいですよね。エンリケさんや一条響さんみたいに爆発的に売上があったわけではないし。自分の中の強みでいうとキャバ嬢単体では弱かっただろうなって。プロデューサーをやり始めて、こういうことのほうがより向いてるかもしれないなって思いました。店や人を輝かせて伸ばしていくことにやり甲斐も感じてます。
プロデュースをはじめてもうすぐ1年半。上野・蓮も錦糸町・蓮もエリアナンバー1の売上を出しています。系列7店舗中でも1位が上野・蓮、2位が錦糸町・蓮なんです。
歌舞伎町を離れて郊外のお店のプロデュースを始めたとき、「藤咲めい落ちた」とか「都内じゃ通用しないから郊外へ行ったんだ」とか言われました。錦糸町や上野ってやっぱりローカル感があるから。「なんでそんなとこ行ったの戻ってくればいいのに」っていろんな人に言われて、それがすごく悔しくて。だからこそ絶対に蓮を有名にして見返したいって気持ちは強いです。
次の展開としては来年春を目途に蓮の六本木進出の準備を進めています。六本木が成功したら次は歌舞伎町に出店。そしてさらに全国展開というのが今の私の野望です♡
キャバ嬢の経験を生かす方向でセカンドキャリアを築いた藤咲めいさん。サパーでのアフター営業や、自らプレゼンして仕事を開拓していく行動力、見習いたいですね!
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