あの頃があったから今がある――。今だから語れるキラキラなあのコのアナザーストーリー。今回ちょっぴり闇な時代をうかがったのは、六本木『FABRIC SEVEN』への移籍が注目を集める五十嵐美咲さん。ヤンキー集団に抵抗し続けた中学時代、摂食障害に悩んだ高校時時代、何かと葛藤の多かった美咲さんの知られざる10代…。同業からも広くリスペクトされているカリスマキャバ嬢の“あの頃”に迫ります!
何年間も継続して1番であり続けるには、気力、体力、精神力とタフさが必要だと思うけど、それが培われたのっていつだと思います?
そんな別にタフではないですけどね。いろいろ重なったら気分は下がるしキャパも広くはないし。優先順位の1番がキャバクラってだけで全部を上手くやれているとは思わないから。ただ、負けたくないみたいな気持ちは確かに強いかも。怠けるとか、休むとか、手を抜くとか…。自分に負けることじゃないですか。それは嫌ですね。
昔からそういう性格?
元の性格もあるけど「絶対負けない!」が強くなったのは中学時代です。めっちゃヤンキーな先輩に目をつけられて毎日呼び出されて説教みたいな。ボロカスに文句を言われる日々を送り、その頃にだいぶ鍛えられました。
毎日説教?
中学1年から2年間ほぼ毎日、放課後に体育館の裏とかに呼び出されて。調子乗んなとかナメてんのかてめえみたいなことをずっと言われ続けるみたいな。今日は何時にどこそこに来いとかスケジュール管理までされてて。そういう日々を送ってました。
目立ってたからかな。美咲ちゃんもヤンキー?
ヤンキーではないし派手でもなかったと思う。普通に眉毛整えたりスカート折って短くする程度。それがダメだったのかな。何が理由で始まったのか覚えてないけど、恐らくヤンキーの女子の先輩が「あいつムカつく」みたいなことを彼氏に言い、そこからヤンキー集団に目をつけられたんだと思う。
男子もいたの!?
いました。リーゼントとかしてるような男子。だからめちゃくちゃ怖かったです。
危険じゃない? 乱暴されるとか…。
ど突かれるとか平手打ちされるとかはあったけど、本格的に乱暴されるっていうことはなかった。でも、その恐ろしさはずっと感じてました。
呼び出しに応じなかったらどうなるの?
無理でしたね。その集団の力が強かったから見つかって連れて行かれる。先生も周りも知ってて見て見ぬふりだったし。でも、私自身逃げようとは思ってなかった。
地元って世界が狭いじゃないですか。その日どうにか逃げられてもずっとは。どうせまた来るんだったらいっそ逃げないほうがいいやって。友達は心配してくれるけど何ができるというわけでもないし。ずっとビクビクしながら暮らすよりマシだと思って。逃げなかったです。
毎日どんな気持ちで立ち向かってたの?
恐怖と戦いながら。悔しいから毎日学校も行ってました。行きたくない日もあったけど休んだら負けだと思って。同じ状況のコに逃げるなとは言わないし、身の危険もあるからむしろ逃げたほうがいいと思うけど、そのときの自分は逃げることがとにかく悔しかったんです。何も悪いことしてないのにその人たちのせいでそうなっちゃうことが。怯えることとか視野が狭くなることとか全部が悔しかった。
この日々はいつ終わったの?
先輩たちが卒業して終わりました。卒業したら学校には来ないから。そういう終わりが見えてたから耐えられたっていうのもありますね。そこまでどう持ちこたえるかだから。
解放されてからは残り1年楽しい中学時代を過ごしました。そのうち初めて彼氏もできたりして。でも、そこから精神が山あり谷ありみたいな。彼氏の浮気をキッカケに拒食症になっちゃったんですよ。初めて付き合った人だったから思い入れもあったし浮気されるとかも初で。その苦しみが耐え難くて精神的に病んでしまい…。
拒食症の直接のキッカケはダイエット。その浮気相手がガリガリの女のコで、「ムカつくから痩せて見返してやる」からダイエットをはじめたんだけど、それがどんどんエスカレートしていって。
どんなダイエットをしていたの?
とにかく食べない。食べてもドレッシングなしのサラダかこんにゃくだけ。学校が終わったら最終バスの時間までずっとジムで走ってました。途中からはガリガリなあのコより細くなっていたし、元彼もどうでもよくなってたけど止まらなくなっちゃって。
高校1年の途中から1年間くらいそんな日々。最後のほうは痩せすぎて何にもできなくなってた。生きてるのが精一杯みたいな状態だったからこのへん記憶が薄いんだけど、普通の生活が送れなくなって学校も行けなくなって強制入院みたいな。
拒食症からはどう脱したの?
入院して拒食は少し落ち着いたんだけど摂食障害としては脱してない。過食症になりました。摂食障害って闇が深いんです。拒食になったら基本次は過食がくるんですよ…。
過食症の過食って、「食欲が止まらなくていっぱい食べちゃった」とかのレベルじゃないんですよ。パスタ10人前のあとにハーゲンダッツ20個とか、そういう明らかに異常な量を食べてしまうから自分でもおかしいってわかる。美味しいと思って食べてるわけでもないし。でも発作みたいな感じで止められない。
どういうときに食べたくなるんですか?
一番状態悪かったときは常に食べていたかったです。5時間くらい食べ続けて疲れて眠るみたいな。過食って他人の前ではしないんですよ。基本家でしかしないものなので。友達とごはん食べてるときも過食したくて仕方なかった。これもう無理かもって思ったら、「ちょっと用事あるから帰るわ」って。急いでいっぱい食料買って帰るみたいな。
どうやって治っていったの?
家でごはん10膳とか食べてたし、その前の拒食症もあったからおかしいなっていうのは家族も早々に察知していて。割と早い段階で精神科は受診してました。自分も治りたい気持ちがあるからそこでカウンセリングを受けたり、安定剤的な薬を処方されたりしていたけど、なかなか治りはしなかったです。
摂食障害ってこうしたら治るっていうものはないから、結局は自分でどうにかしていくしかない。私の場合は過食がある程度おさまるまで2年くらい掛かりました。
過食にもいろんなパターンがあると思うけど、私の場合は過食嘔吐ではなくただ食べ続けていたので食べたら食べたぶん増えるんですよ。吐くっていうことができなかったから。太って醜くなっている自分を見てもまた病んで過食して…。ピークのときは65kgとかまで行っちゃって。
拒食はぶっちゃけ誰が見てもヤバイじゃないですか。だから周りからも配慮があるんです。「大丈夫?」っていう。でも、過食で太ってるとデブは甘えみたいな目で見られる。
「私、泣きながら食ってんだけど。その気持ちわかんないでしょ」って思うけど、実際ただのデブでしかない。甘えてるだけの食い意地張った人みたいな。そう思われることもすごい嫌だったし、抑えられない自分も嫌だった。こんな自分が恥ずかしいから誰にも会いたくない。拒食より過食のほうがしんどかったですね。
良くなるほうに進み始めたキッカケみたいなものは?
太って人に会いたくなくなってたんですけど、でも逆に人に会うようにしたのが私には良かったなと思う。行きたくないけど祭りに行ってみるとか友達とカラオケに行くとか。とにかく遊ぶ。誰かと一緒に出歩いている時間を増やしました。
最初のうちは無理やり人と関わってた。自分1人でいたらもっと普通の人間に戻れない気がして。普通の人といて普通の毎日を過ごすことで一回狂っちゃった自分の感覚を正常に戻したいみたいな。だから人と食事をして「普通の人のごはんはこのくらいの量で、こういう食べ方なんだ」って感じながらごはんを食べたり…。
普通の感覚をもう一度取り戻す?
そうそう。それまでご飯を食べるのも1回1回すっごい緊張してたし。なんかもう全部がやっぱりおかしくなってたから。でも、そうやって人と一緒にいるうちに安心できるようになってきたんですよ。普通の人と普通に過ごせている自分に安心するというか。私、人間なんだ。みたいな安心感があって。
人と触れ合っている時間が自分にとっては安定剤みたいな感覚だった。人といることで安心を得て、ちょっとずつまともな自分に戻っていってる実感があったから。だからその流れでキャバクラもはじめたんです。もっと人と触れ合う時間を長くしたくて。
そうだったの!?
摂食障害を治したいっていうのとキャバクラは私の中でセット。ここが結構自分の原点なんです。キャバクラはじめた段階で過食症は全然落ち着いてなかったけど、でも、わざとこうして働いてたら気は紛れそうだなみたいな。
克服できました?
今はもう大丈夫です。でも摂食障害を克服するって時間がかかるんです。下手したら一生付き合っていかなきゃいけない病気だから。特に過食はドーパミンとかエンドルフィンとか脳の幸せホルモンと直接関わってるから。データによれば気分の高揚感とか幸福感とか麻薬と一緒くらいの作用をしているらしいですよ。食べてる間にバーッと出るみたいな。そうそうやめられない仕組みになってる。
だから、しばらく過食がおさまっていても、ストレスが掛かったりするとまた食べちゃったりも多々ある。そういうとき「まだ治ってなかった」とか「心が弱い自分は最低だ」とか、自分を責めたり自己嫌悪したりしないほうがいいんじゃないかなと私は思う。余計に落ち込むし良いことないから。
美咲ちゃんの場合どうでした?
私もそうでしたよ。キャバ嬢になって過食する間隔はどんどん開いていったけど、完璧に治ったと思えたのってだいぶ先。その間には過食に走っちゃう日もあった。でも、良い日もあればダメな日もあるって思うようにしてました。長い目で見て気長に上手くつき合っていこうみたいな。
もう大丈夫かもって思ったのはコロナ禍の頃。最初の緊急事態宣言の頃って先が全然見えなかったじゃないですか。家から出られない、今後の先行きも不安、何より人と会って話すことができない。それって私には相当なストレスだったんだけど、過食に走ることもなく淡々と毎日を送っていたから。後から振り返ったときに脱したんだなって思った。
やっぱり時間はかかるんですね。
それでも早く治ったほうかもしれない。私、キャバクラはじめたときから摂食障害を治すことが人生の目標でしたもん。そのぐらい難しいんですよ。
今もたま〜にストレスが溜まると、いっぱい食べたいあの感じは出てくるんだけど、「あ、これアレだな」って理解してるから、自分でコントロールできてますね。
過食から距離を置きたくてキャバクラ始めて、そしたらそれが向いててすぐ売れて、仕事としても夢中になれた…。なんか全部つながってるなぁって思う。ヤンキーたちから逃げなかったことも立ち向かう精神力につながってるし。
私、お店でシャンパン飲んでお客さんと話してるときが一番幸せなんですよ。摂食障害になって良かったとは1ミリも思わないし、この病気になったからキャバクラ頑張れたとも全く思わないけど、いろいろあって結果、幸せだなと感じられるものを職業にできたのは超ラッキーだったなって思います♡
摂食障害というできればあまり話したくないであろう過去を、「悩んでいる人も多いだろうから」と、詳しく語ってくれた美咲さん。貴重なお話を聞かせて頂きありがとうございました!
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