鳴かず飛ばずの下積み時代から「きよみが看板になってアジアンを変える!!」という強い思いはあったと語る、歌舞伎町アジアンクラブのきよみんさん。老舗の看板を背負い不動のナンバー1と呼ばれるようになるまでには何があったのか!? 誰も知らないきよみんのアジアン看板物語♥
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―きよみんさんがいかにしてアジアン不動のナンバー1といわれるまでになったのか、その偉業を振り返るインタビューなんですが、アジアンってナンバーを公開しないですよね。言ったら怒られますか?
きよみの場合はもう何年もずっと安定してナンバー1だし、看板なので言っても大丈夫です(笑)。確かにアジアンはナンバーを公表してないですけど、内部的には自分が何位なのかはわかりますよ。ただ、わざわざ公表はされないし「あんまり言っちゃダメだよ」的な感じはありますね。
―じゃあ、お客さんは看板になったコを見て初めて「このコがナンバー1なんだ」と知るみたいな?
逆かな? わざわざ言わなくてもこのコがずっとナンバー1なんだって認知されたら看板になれるみたいな感じです。1位を継続し続けてやっと看板になるみたいな風習があるんですよ。私の場合は1年かかりました。
―そんなに!? 大変!!
アジアンではそう簡単には看板にしてもらえない。数カ月ナンバー1とかじゃ全然ダメ。継続し続けて「ナンバー1にふさわしい実力がある」って総合的に判断されたらやっと看板が変わるみたいな。固いんですよ。看板の重さ、めちゃめちゃあるかもしれない。
―きよみんさんってアジアン歴は何年になるんですか?
19歳から働いていて今年24歳になるから丸5年。入ったときは最年少だったけど、もうそんなに経つんだ(笑)。
―アジアンの前は千葉のキャバクラでしたよね。
そう。千葉のキャバクラに4カ月くらい。アジアンクラブに入ったのはノリです(笑)。地方でキャバクラやってるなら東京へ行ったほうがいいなあとは思っていて、そんなときにお客さんに連れて行ってもらった歌舞伎町のキャバクラがアジアンクラブだったんですよ。それでそのまま女のコたちと一緒にアフターとか行って、「お店探してるんだったらアジアン来なよ。時給いいよ」みたいな。「じゃあ行こっかな」みたいな♥
―軽いノリで。
それでとりあえず体入に行ったんですけど、そしたらアジアンの部長が千葉のときのお客さんで。「あれ?」みたいな。千葉のときは普通に会社員の人だと思ってたからビックリ。「実はね、僕はアジアンの部長なんだよーん」みたいな。これも何かの縁だなと思って「じゃあ本入します」って即入店を決めました。
―「だよーん」ってww 部長さんははなぜ千葉のキャバクラに?
千葉だけじゃなく、全国のキャバクラに飲みに行ってたみたいです。かわいいコいないかなって。仕事ですね。
―ちなみにアジアン入店時は時給スタート?
その頃はまだ時給で¥20,000スタート。千葉のときは最終的に歩合になったけど時給は¥7,000だったから。「すごい!」って思った♥
―千葉で時給¥7,000は相当高い方なんじゃないんですか?
当時は¥3,000~4,000が千葉の相場だったから、「奇跡」って言われてました(笑)。「¥7,000なんて出したことないよ!」みたいな。その差って自分の価値だから、周りと倍くらい差があることは嬉しかったですけど、視野が広がってくるともっと高い場所があるってことがわかってくるじゃないですか。東京はもっとすごいんだろうなあって。逆に行きたくなりましたよね、東京に。
―お給料が売り上げ制になったのはいつ頃ですか?
3年くらい前かな? 最初の1年はめちゃくちゃ苦戦したんで、そんな入ってすぐじゃなかったです。2年目あたりから売れていって看板になったから、その頃ですね。
―きよみん伝説が始まるのは2年目から?
そうですね。最初の1年はもうズタボロ。19歳だったし、周りがお姉さんすぎて…。その頃のアジアンはしっとりしたお姉さん系の店で、年齢層も26~28歳くらいが中心だったのかな。今は逆に20代前半のコが多いお店になってるけど。
―キャストの年齢層が若返ったのはお店の方針ですか?
いや、看板が金髪だからじゃないですか(笑)。それで自然と若いコが集まってきたんだと思うwww
―その当時って金髪の人はいなかったの?
全くいなかったです。そもそもお店的に金髪NG だったので。NGだったんだけどひとり金髪を貫いてました。「金髪ダメなら店やめる!」くらいの気持ちで。でも、相当浮いてましたけどね。若くて派手なギャルがキレイ系のお姉さんの中にポツンと紛れ込んでるみたいな感じで(笑)。
―じゃあ、アジアンを変えたのはきよみんさん?
お姉さんイメージのアジアンを変えたという意味では結果的にそうかも。実際、「きよみが看板になって若いコ増やしてやる!」ってめちゃくちゃ思ってました。そのほうがお店も盛り上がるだろうしパワーもあるだろうし、「絶対に変えてやる!」って思いもあって頑張ってたんですよ。今考えると、いやあよく頑張ったなあと思いますね♥
―今のアジアンは金髪OKなんですか?
いや、原則はNGのままかな。ただし、顔がかわいかったらOKだと思います(笑)。
―きよみんさんといえば常に売れていて、コロナでも売れている、みたいなイメージがあるので、苦戦した頃があんまり想像できないですね。
あったんですよ。劇的に売れていない時代が。お客さんも全部ゼロからスタートっていうところでくじけちゃった部分があるかもしれないし、店にも合ってない感じだったし、全部が噛み合っていなくて「歌舞伎町ムズッ!」みたいな。千葉がいかに楽だったか身に染みたし、そのときはメンタルがやられましたね。
―ハッピーオーラ全開でお馴染みなのに‼️
超ネガティブになっちゃってヤバかったです。頑張っても頑張っても結果が出なくて、やり方がダメなのかな? 誰にも求められていないのかな? 一体何をすればいいのかな? …絶望みたいな!!(笑)
―いま振り返ってみると何がよくなかったんでしょうね?
やっていたことは結果的には間違ってはいなかったと思います。ただ、めちゃくちゃアフターしていたし、かなり無理をしてお客さんに合わせるスタイルでやっていたので、そういう自分の中の無理や疲れが顔に出ちゃっていたのかな。多分、「余裕がない!」っていう感じが前面に出てたんだと思う。そういう余裕のなさってわかるじゃないですか、一緒にいるほうも気持ちが安まらないですよね(笑)。
―そういうものって伝わるんですね。
人間と人間だから思っている以上に伝わるんですよ。でも、自分のやりやすいスタイルを見つけるために、そういう全力で無理し続ける時期っていうのは必要だったんだと思う。きよみの場合はその期間がそこそこ長かったし、やり方がなかなか見つからなくて、それで結構精神的にきたりして苦しんだけど。
―どうやって自分のスタイルにたどりついたんですか?
出勤数が減ったり、とことん落ち込んでいったときにスイッチが切り変わったのかもしれない。本気で落ち込んだときって自分と向き合う時間があるじゃないですか。その中で思ったんですよね。歌舞伎町までやってきてこんなに頑張って、それで投げ出したら超悔しいしダサいなって。それで逆にヤル気になったというか。どうせやるならとことん上を目指したいって思ったんですよ。今よりナンバーを上げるとかじゃなくて、「絶対看板になってやる!」って思いました。そう思ったらめちゃくちゃ元気が出たんですよ。元気が出たらそこから運も良くなっていったんです♥
―売れたのは “運”だけじゃないですよね?
これまでにやってきたことがようやく実を結び始めたのかな? 単純な話、最初はお客さんを掴むしかないからめちゃくちゃつき合いよくして、1日5件とか鬼アフターしてたんですよ。そういう毎日を送っていれば、それなりに名前や顔は知れていくじゃないですか、その結果が出てきたのかもしれない。同時にその頃、飲めないと単価も上がらないから、「みんなで楽しくワイワイ飲もうみたいな感じでいこう♪」って決めたんですよね。それで 飲み系のお客さんとか着くようになって、楽しむスタイルでいったらいい感じになっていったんです。
―自分が楽しむスタイルを確立♥
楽しむスタイルに変えてからどんどん良くなりました。無理してないから。自分が楽しんでるからお客さんも楽しんでくれるんですよ。それでお客さんも増えて、お客さんが増えると自分も毎日楽しいじゃないですか、その相乗効果でどんどん良くなっていった結果、常にハッピーみたいな感じになりました♥
―どこかでちょこっとでも売れるって大事なんですね。
大事! だから逆に、そこに持っていくまでの下積み時期なんだと思う。はずみがついちゃえばもうあとは波に乗るだけだから。
―波に乗った瞬間って、自分でもわかったりします?
「これはいい波乗ったのかな」って思った瞬間はありました! アジアンはそのとき若いコがきよみしかいなかったから、割とお客さんも若い人が多くて。「きよみ=若いお客さん担当」っていうポジションになっているなってわかったときに、「あ、これはいい波に乗ったのかな」って。周りがしっとりイイ女系のお姉さんだったからこそ、若さやギャルっぽさを売りにして「楽しく飲もうよ♪」っていうやり方でいこうって。
――きよみんさんがガンガン売れ始めた頃、店にはアジアン不動のナンバー1といわれた方がいましたよね。店に絶対的なエースがいる状況ってモチベーションは続くんですか?
そういうときこそあきらめちゃいけないんですよ! そこであきらめたら終わりだけど時間は流れるから何があるかわからないじゃないですか。結婚して夜を上がるかもしれないし、何らかの理由でその人のモチベーションが下がる可能性だってあるし、自分がどんどん追い上げていった結果何かが起きる可能性だってあるわけだし。実際、それからしばらくして人気絶頂だったにも関わらず、ナンバー1だった方が店を辞めたんです。理由はわからないですけど、そういうこともあるんです。
――そこからきよみんさんの時代に?
ただ、最初はナンバー1がやめたから繰り上がってナンバー1になった形でした。でも、そこからのびのび本領発揮できたっていうところも大きいです。仲は良かったですけど、やっぱりちょっとやりづらい部分があったから。そこからどんどん波に乗って、その先輩の売り上げを超えるようになっていって、そうなってしばらく経った頃に部長から、「アジアンの看板はきよみだから、頑張って」と言われた。それでようやく名実ともにナンバー1になったっていうところですね。
――ちなみに数字的に初めてナンバー1になったときのことって覚えてます?
覚えてますよ。今月なんか調子いいなあって思ってたんですけど、「今月ナンバー1だよ」って言われて。あ、そうなんだみたいな。やっとここまで来れたっていう喜びはもちろんあったけど、どちらかというと「このぐらいの感じなのか、なるほど」っていう感覚。これが最低限のラインなんだなっていう。
――ベースラインがわかったみたいなことですか?
そういう感じです。このくらいっていうベースラインができたから、そこを安定させながら、もっと上を目指すためには単価をどのくらい上げていったらいいかとか、具体的な数字も見えるようになったので、何かとやりやすくなりました。
――ベースラインはわかってもそれを継続するのはまた難しそうですね。
確かに。継続が一番難しい。ポッと出でナンバー1になるのは簡単だけど、継続するってなったら話は別だから。太いお客さん掴めば誰でも一瞬はナンバー1になれる。でも、毎月ナンバー1であり続けるのは超ムズいです。でも、だからいいんですよ。飽きないから。難しいことに挑戦し続けているからこそ成長できるし、モチベーションも保てるんです♥
アジアンの看板になるまでを余すところなく語ってもらったこのインタビュー。「上手くいかない、結果が出ない、そんなときこそ全力で無理をしてみてもいい!」学ぶところの多いお話でした♥
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