整った顔立ちと明るいキャラクターが魅力、六本木の人気嬢『JUNGLE TOKYO』のいちかさんがメゾンドボーテ初登場。指名や売上の意味がわかっていなかったピュアすぎる渋谷時代から、六本木の売れっ子になるまでのキャリアをご紹介! 東日本大震災で刻まれた「生きてるだけで幸せ♡」な人生観にも迫ります。
『ジャングル東京』にはオープニングメンバーとして入って今4年目。出勤はたまに2週間くらい休むときもあるけど、普段は週4〜5日はお店にいます♡
キャバクラを始めたのは18歳から。アパレルのショップ店員をしながら、ジャングルに入るまでは昼夜掛け持ち。その前は一瞬だけ会社員してました。
そもそもは高校卒業して就職するために上京したんですよね。最初は化粧品関係の会社に入社したんですけど、そこがブラック企業すぎて。海外のコスメを輸入販売する会社でいろんな百貨店でポップアップをしていたんですけど、入社後に交通費自腹って言われて「聞いてない!」みたいな。入社早々、千葉や埼玉に連日出張していたのでこの交通費が自己負担となると大打撃。ただでさえ手取り月12万と薄給なのに(笑)。他にもどうかと思うところが多々あって、悩むことなく1カ月で退職しました。ダメだと思ったら見切りは早いんです。
そのあとはすぐにショップ店員に転職。服好きだしやってみようかなって。ほどなくキャバクラも始めました。その頃、地元の友達とウィークリーマンションを借りて一緒に住んでいてたんですけど、そのコから「キャバクラで働きたいけど東京は怖いから一緒に働こう」って誘われたのがキッカケです。
一番最初に働いたお店は渋谷のレッドシューズ。センター街方面にあったキャバクラで横浜のプリンス系列のお店でした。そこで友達と“姉妹”って言ってキャバ嬢してました(笑)。顔が似てたので。
その頃はめっちゃギャルでしたね。働いていたアパレルのお店がギャル系だったのでビジュアルも寄せなきゃいけなくて。髪も金髪で化粧もめっちゃ濃かったしカラコンも16mm。まつエクは600本つけてましたww カラコン16mmはヤバイ。白目がなかったです。でも、元々田舎のギャルだったので何の抵抗もなかった(笑)。
レッドシューズ時代は売れるとか売れない以前に、知らない男の人と連絡先を交換するなんて人としてしちゃいけないと思っていて、キャバ嬢という職業の仕組みが全くわかってなかったです(笑)。場内もらっても一切連絡先を交換しない。場内取るためにすっごい頑張ってるのに頑なに連絡先交換しないっていう。謎すぎる(笑)。なんのために夜やってるんだろう。ただ店にいるみたいな、時給泥棒みたいなことしてましたよね。
それで担当さんともすっごい揉めました。「お願いだから連絡先交換して! お客さん来ないよ」って。一緒に住んでた友達にも「連絡先交換したほうがいいって。しないと意味ないから」って言われて。それに対して「本当にヤダ! 私は好きな人しか連絡先交換したくない」と突っぱねて。あの頃の自分に教えてあげたいですね。間違ってるよって(笑)
レッドシューズはすごく良いお店だったんですけど、入店から3、4カ月後に閉店することになって。その後は近くの『セレブリティ』というお店に入りました。ここは今もあります♡
セレブリティに入ってからはちゃんとキャバ嬢してました。連絡を取ってお客さんが来てくれて「これが指名なんだ!」っていうこととか、指名になってお酒をいっぱい入れてくれたらお給料も増えるんだっていうことも学び、ここからは売れるようになっていきました♡
セレブリティに入ってからもしばらくはアパレル掛け持ちでした。今思うとよくやってたなぁって思います。昼も夜も両方週4以上は出ていたから。夜出勤の次の日がアパレル早番でそのまま夜も出勤だとほぼ寝れないみたいな。にも関わらず当時は遊びたい欲も強くて仕事のあとにお店の人たちと朝までご飯を食べに行ったりしてて。毎日睡眠2時間とかだったんですけど、やたら元気でした(笑)
セレブリティには2年半くらいいたのかな。渋谷はもういいやって思ってたんですよね。渋谷っていう街に限界を感じていて。となると次に六本木か新宿じゃないですか。
私、お酒が飲めないので新宿はキビしいかなって。ノンアルではないけどほぼ飲めないので。ちょうどそんなとき知り合いから「六本木に新しくお店できるから働いてみたら」って言われて、それがジャングル東京でした。
ジャングル東京に入ったときは衝撃でしたよね。「めっちゃかわいいコしかいないじゃん!」と思ったし、渋谷でウケる見た目と六本木のかわいいが違いすぎて。
どうにかしなきゃと思って、店のかわいいコに美容情報をいっぱい聞きました。「クリニックどこ通ってるの?」「どんなことしたらこうなるの?」って。それで、できそうなことは全部試しました。六本木に来て見た目はだいぶ変わったと思います。髪色も暗くなってカラコンも裸眼に近いものを着けるようになって。ジャングル入った当初の写真とか見ると「ヤバッ」ってなります。
六本木に移って変わったことは同伴アフターに行くようになったことですね。渋谷ではアフターに行く文化がなかったんですよ。「同伴しよう」っていうお客さんもあんまりいなかったし。
お客さんは一回仲良くなったら結構続くほうです。5年来の付き合いのお客さんとかもいますし、今も渋谷時代からのお客さんも何人かジャングルに通ってくれています。それこそジャングルではゼロスタートだったんで、最初の頃は渋谷のお客さんに助けられました。それでちょっとずつ六本木のお客さんが増えて落ち着いていって。
お給料も格段によくなりましたよね。桁が違う(笑)。やっぱり渋谷と六本木では単価が全然違う。六本木に来たからやり方を変えたとかはなく、これまで通りにやっていたと思うので。私、営業をかけられないんです。「来て」とか言えない。フリーに着いてもそんなに連絡先交換しないし。場内入ったところと仲良いコのお客さんのお連れさんくらい。次につながりそうな方としか交換しないです。
営業法とか売り方とか、さして人に語れるほどのものは持っていないんですけど、「ハッピーでいる」っていうことに関してだけは自信あります。
瞬間的にツラいことはあったりするけどすぐ忘れるしなんでもプラスに変換できる。それは特技かもなって思います。財布を落としたとしても「新しい財布に買い替えろってことか! よしかわいい財布買いに行こう」みたいな(笑)。
終わったことって変えられないから。だったら良いほうに持っていったほうが楽しいじゃないですか。生まれつきハッピー脳だったわけではないけど、日に日にそうなってく♡
東日本大震災を経験したっていうのもきっとありますね。
私の地元は宮城県の石巻市で、被害が甚大な地域だったのでみんな被災したし同級生の中には亡くなったコもいました。私の家も津波で流されましたけど、幸いにも家族は全員無事だったし私も生き残りました。
その頃私は中学2年生で、地震があったときは卒業式をサボって仲良い友だちと家にみんなでいたんですよね。それで地震が起きて津波が来て、ママが友達の家まで車で迎えに来てくれてみんなで逃げたんです。でも途中でどんどん水が迫ってきて。みんな車で逃げてるから渋滞になるんですよ。それで逃げ切れなくて全員で車の上に登って、そこで6時間救助がくるのを待ってました。あのとき7人も乗っていたからその重さで流されずに済んだ。いろんな偶然が重なった奇跡だと思ってます。
津波で流されかけたときに生かされてるから、きっと私はこの先も生きていく人間なんだっていう確信が根底にはあるし、あのとき生きのびられたから今は生きてるだけで幸せ。
せっかく生かされたんだから、好きなことをしたいし自分が好きな人とだけいたいっていう思いもすごく強いです。だから自然と嫌なことや苦手な人からは勝手に距離を取っていたりします。でもそうしていると、自分を取り巻く環境が好きな人や好きなもので溢れるから、結果ハッピーなんですよね (笑)。
初めて会ったお客さんに「元気だね」とか「悩みなさそうだね」って言われることがめっちゃ多いんですけど、それは実際楽しく幸せな気持ちで生きるからだと思うし、この先も一生笑って生きてくだろうなって思ってます♡
ジャングルで働き始めて3年半くらい経ちましたけど、めちゃくちゃ良い店ですごく気に入ってます。女のコもみんな仲良いし社長も会長も大好きなので、夜上がる日まで私はここから移りたくないなって思ってます。これからもこの店に出勤しながら、好きなことや楽しめることももっとたくさん見つけて、やりたいことを見つけていきたいなって思いますね♡
震災という大変な出来事をくぐり抜けて、強く生きてきたことがいちかさんのハッピーマインドの根源。「嫌なことや苦手な人から距離を取れば、自分を取り巻く環境が好きな人や好きなもので溢れる」という考えた方はなるほどです!
<RECOMMEND>
こちらの記事もおすすめです。
働く一日に密着有名キャバ嬢紹介
『JUNGLE TOKYO』いちかの働く一日に密着♡ スケジュールは詰め込みたい派の充実キャバ嬢ライフを追跡!!
『JUNGLE TOKYO』いちかの働く一日に密着♡ スケジュールは詰め込みたい派の充実キャバ嬢ライフを追跡!!