「億の男」としてその名を知られるシンスユーの蓮士メゾンドボーテ初登場!!蓮士さんといえば「4年連続売上1億超え」や「月間売り上げ5,000万突破」など、レジェンドプレーヤーとして夜の世界で知らない人はいない歌舞伎町の伝説。現在進行形で偉業を更新し続けるその原動力とは?ロングインタビューを前・後編でお届けします♪
蓮士さんプロフィール
『SINCE YOU RESISTANCE』(シンスユー レジスタンス)代表取締役社長
1990年1月12日生まれ/血液型:O型/身長:178cm/趣味:漫画と旅行
☆4年連続年間売上1億超え
☆年間最高売上1億6000万
☆月間最高売上5000万
☆3年連続で年間指名本数1000本突破
☆年間最高指名本数1250本
☆月間最高指名本数151本
まずは蓮士さんのホスト歴をざっと教えてください。今は何年目ですか?
ホストになって9年目ですね。自分はずっと『シンスユー』でしか働いたことがなくて、初めて働いたお店は『シンスユーTokyo』というお店。最初は2部のホストでした。シンスユーTokyoは中箱の店だったんですけど、1部と2部が合体して大箱の『シンスユー本店』になるんですけど、そこで4年ぐらい代表を務めて、1年半前から『シンスユー レジスタンス』という店で社長をしています。
プレーヤーとしても現役?
現役ですよ。社長兼プレーヤーです。
蓮士さんといえば「億の男」でお馴染みですが、4年連続1億超えっていうのはいつの記録なんですか?
2013年から2016年までの4年間ですね。今年も引き続き売上1億超えを目標にしています。
“連続億超え”の記録は現在進行形なんですね!ちなみにホストになったキッカケは?
スカウトです。池袋を歩いてたいたときに、今シンスユー本店にいる拓真社長に声をかけられたのがキッカケです。その当時はホストには全く興味もなかったし、むしろあまりいいイメージを持っていなかったので、声をかけられたときも最初は無視していたんですよ。でも、100メートルくらいずっとついてきて、すごいしつこかったんですよ(笑)。まあまあどうせ連絡も来ないだろうし、面倒臭かったら無視すればいいかと思ってその場は連絡先を交換して終わって。そしたらそれから1カ月くらい毎日のように連絡が来たんですよ。しかもすごくちゃんとした真面目な感じだったんです。ちょうどそのとき、それまでの仕事をやめようと思っていたときで、次は何をしようかなと考えていたところだったのでタイミングもよかったんですよね。それで面接だけでも行ってみようかなという感じで行って。今に至るっていう。
ホストになる前はどんなお仕事をされていたんですか?
ホストの前はね、コレ説明してもなかなか伝わらないんですけど、変な仕事をしてました。地下にこもってました。
地下にこもる??カイジですかww?
あんな悲惨ではないww なんですかね自由でヒマなカイジって感じですかね? ビルがあってそこの地下の部屋にこもって毎日ずっとパソコンを見てました。パソコンのモニターに数字が出てるんですけど、その数字が赤に変わったら教えるっていう仕事。「赤になりました!」って報告するんです。
世の中にそんな仕事が。謎すぎるwww
数字がいつ赤になるかわからないので一応パソコンの前いなきゃいけないんですけど、それ以外は自由だったんですよ。携帯をいじっていてもいいし、煙草を吸う人は吸ってもいいし。ただ、画面を見る以外にすることないんですっごくヒマなんです。しかも、1週間に4回くらいしか赤にならないんですよ。だからたまに赤になると嬉しいんです。「やっときたか!」って。
謎は深まるばかりですが、それはバイトだったんですか?
いやバイトではなく社員でしたね。ボーナスとかもちゃんと出るような。とある企業の求人を見て普通に応募して普通に採用されたんですけど。ただ、面接のときに「ここは若い人がくるとこじゃないよ」みたいなことを言われて「ん?」とは一瞬思ったんですけど。それで配属されたのが地下だったみたいな(笑)。
パソコンの画面を見ているだけという部署w
最初は楽しいんですよ。することないし疲れないし携帯を見ていてもいいし、「楽だなあ」って。でもすぐに飽きるんですよ。もうヒマすぎてヒマすぎて。唯一、1日の中で楽しかったのが昼飯のとき。このときは地下から出られるんで。地上の空気って素晴らしいなあって思いましたね。
wwwww
ペットボトルのキャップを集める箱がビルの各階にあって、その回収を頼まれることがたまにあったんですが、それがすごく楽しかったんですよ。地下から出られるから。でも、キャップがたまるのにも時間がかかるじゃないですか。「早くたまらないかな」っていつも思ってました。
ヒマすぎてマヒしてるww
なんにもすることないんで。大体毎日モバゲーのゲームをやっていたんですけど、それもやり過ぎて上達しちゃって全国3位になったんですよ。もうダメだwww 多分、やり遂げた感が出たんでしょうね。こんな地下にこもってる場合じゃないって疑問を感じ始めて。
この仕事どのくらい続いたんですか?
4、5カ月くらいですかね。もうやめようと決めて、次は何をしようかなと思いながら池袋を歩いていたときにスカウトされたんですよ。。
絶妙なタイミングでしたね。それからすんなりホストの世界に馴染めました?
無理だったらやめようくらいの気持ちで始めたのもあるし、地下の仕事があまりにも退屈で刺激がなかったんで、普通よりも馴染みやすかった部分もあるのかな。すべてが輝いて見えて(笑)。人とふれあっているだけでうれしいし、ふれあっているのが同世代の人たちだし、とにかく刺激があるってことで毎日楽しかったんです。
ホストに対するイメージも変わりました?
180度変わりましたね。最初は上下関係面倒臭そうだし、すぐケンカとかになりそうだなって思ってたんですけど、入ってみたら全くそんなことなかったんですよ。
最初から売れました?
いや全然そんなことないです。売り上げがついてくるようになったのは入店から半年過ぎたくらいからですかね。ホストとして名前が売れ始めたのも幹部になってからですね。
幹部になったのはいつ頃?
ホストになって1年ちょっと経った頃。ちょうどおれが幹部に上がったタイミングで、元々いた幹部のうち3人が新店に移ることになって。その店の幹部がおれも含めて2人になっちゃったんです。それで、「これはがんばらなきゃ」って意識がだいぶ変わったんです。
盛り立てていこうみたいな?
やっぱり、それまでの幹部たちがいなくなったから店がダメになったって思われたくないじゃないですか。そのとき店は代表不在で、おれら2人が一番上みたいな状態だったんで、「おれらでやろうぜ!」って。自由にやれた部分もあったし、でも同時に結果出さなきゃっていう責任もすごく感じていたし。大変でしたけど店を盛り立てていくっていうやりがいも感じました。
そこから「億の男」に??
億超えはまだ先ですね。この後もう一山あるんです。『シンスユーTokyo』の幹部になってしばらく経った頃、1部と2部を合体させて150坪の大箱に移る計画が持ち上がったんです。それが『シンスユー本店』なんですけど。そのときに1部と2部の戦いがあったんですよ。
戦い!!
自分は当時2部のホストで、『シンスユーTokyo』の2部はその頃いい感じに盛り上がっていて、勢いもすごくあったんです。売り上げも前よりずっと上がっていたし、2部の中では歌舞伎町全体でも上だった。「もっといけるぞ」ってみんなの心がひとつになっていたときだったんですね。そういうタイミングで1部2部を合体させる話が持ち上がった。会長には『シンスユー本店』は1部の営業一本でやりたいという思いがしっかりあって、それもわかるんですけど、でもそれまで2部でがんばってきた側からすると「おれらは2部でやってきて結果も出しているのに、2部がなくなるなんてそれはないぜ」という気持ちもある。それで、会長に2部存続を訴えたんですよ。「いや、おれらは今調子いいし、このまま2部としてやっていきたい」と。そのとき2部のホストは27人いたんですけど、「じゃあ、あと15人集めたら2部の営業を認めよう」という条件を出されたんです。
大箱で営業するとなったら人数も必要になりますもんね。
それで3カ月の期間を与えられて、がんばって人を集めてはいたんですけど、結果15人増やすのは無理だったんですよ。それで、2部は1部に合体して本店という箱に移動したわけです。
その状態で合体したら揉めそうですね?
同じグループの仲間なんで揉めるってほど揉めはしないですけど、やっぱりそれまでの1部と2部との間でバチバチはしましたよね。2部は2部で「おれらのほうが売り上げがあるんだ!」みたいなプライドもあったし。
ギラギラしてる。ドラマみたいですね!
ギラギラしてました(笑)。今のホストでは中々ないようなギラギラがありましたね。アツかったですよ。
そのギラギラが店の活気につながって?
そうですね。みんながみんな負けられないと思ってがんばっていたので、結果、店全体が盛り上がったと思います。
2部から1部になって生活時間も真逆になりましたよね。それはどうでした?
テンションが上がりました(笑)。夜、最高だなと。1部になって、「夜、素晴らしいな」に変わりました。すぐwww 夜ってやっぱり華やかだなあみたいな。それまで2部でしか働いたことがなかったので夜の感覚がなかったんですよね。お客さんの女のコが帰るとき、外に出て「うわ、明かるっ!」って言うんですけどその気持ちがわからなかったんですよ。おれは出勤するときも外が明るくて、帰るときも明るいままだったんで。「外は明るいだろ」と思ってたんですけど、1部のホストになって「明かるっ!」のその意味がわかった。2部は2部でもちろんいいところもいっぱいあったんですけどね。仕事が終わっても買い物に行けるし、ご飯屋さんでもどこでも開いてるし、規則正しい生活が送れるってことでも。
ずっと2部でがんばっていた人が1部で戦うって分が悪いですよね。だって朝のお客さんをそのまま夜に持っていけるかっていったら難しいじゃないですか?
時間帯が全く逆なんでね。2部でつかんだお客さんしかいないし、1部でどこまでやれるかはみんな不安もありましたよね。
ゼロからのスタートくらいのハンデがありますよね。
そのぐらいの気持ちで仕切り直しました。でも、2部のときのお客さんも、「行くよ」って言ってくれて本当に来てくれる人もいっぱいいて嬉しかったですね。本店になってからはナンバーも新たになって、それで負けられないって気持ちも強かったし。やっぱりここからもう1段階自分がレベルアップしましたよね。
そしてここから「億の男」伝説が!
そのときから毎月、売り上げ500万は切らなかったんですよ。大体、500万から1,000万の間だったんですよ。で、1年そんな感じで過ぎて、次の年ですね。年間1億を目指そうと決めたのは。そのときから年間のテーマも決めるようになって。
そのときはもうナンバーワンだったんですか?
でしたね。ナンバーワンで代表にもなっていて。で、その次に何を目指そうかなと思ったときに「億超え」かなと。そのとき歌舞伎町には1億円プレーヤーって全然いなかったんで。1億いったら伝説なれるしいっとくかと思って。そういえば、『年間売り上げ1億』を目指そうと決めたとき、グループ全体で滝修行に行ったんですよ。「滝打たれに行くぞ!」って。
なぜ!?
なんでなんすかね? なんか行ったんですよ。みんな仕事終わりに山に連れて行かれて。名前の刺繍入りのふんどしを渡されて。1月っすよwwww わけもわからず滝を目指して山道を進んで、「年間1億!」って叫びながら滝に打たれたのを覚えてます。
すごく寒そう。
寒かったですw 水温がそのとき4℃で。水風呂で15℃らしいんですけど。死にました(笑)。
その1回目の億超え達成が2013年。
そう、23歳のときでしたね。それで、達成したはいいんですけど、次の年どうしようみたいな。燃え尽き症候群みたいになっていたんで。2014年どうしようかなって。で、ちょっと目標設定を細かくしたんですよ。『毎月1,000万以上売りながら歴代最高記録を狙う』って。これを目標にしながらグループの月間最高記録叩こうって。それまでの最高記録が2,500万だったのでそこを超えようと。それでバースデーのときに5,150万を売り上げて、そのときが年間1億6,000万後半くらい。7,000万には届かないくらいだったのかな。
うわああぁぁぁ。
それで2年連続で億超えて。それで次どうしようってなって。やっぱり2年目のときが一番がんばっていたので。このときはすごい“ゾーン”に入ってましたよね。あるんですよ。そういうゾーンが。もう、「負ける気がしない」っていう。
後半はこちらから
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“元祖億の男” 蓮士さんに今だからこそ聞きたい50の質問!!
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