『六本木ビゼ(bisser)』の売れっ子キャバ嬢、北条桃さんが語る「私がキャバクラを続ける意味」♡ 地元・静岡のネオン街からスタートして、歌舞伎町、六本木とキャリアを積み上げていった桃さんのキャバ嬢人生をご紹介します♪
六本木ビゼ歴は3年。その前は、最近コロナで閉店してしまった歌舞伎町の『エンジェルフェザー』。それ以前は静岡の夜の街『両替町』で働いていました。
地元で最初に働いたお店は、県内では一番大きいグループの系列で『キングピアス』というお店でした。ここはその後『摩天楼』という店に変わったんだけど、昔歌舞伎町にあった有名店の『摩天楼』とは縁もゆかりもありません(笑)。そういえばこのグループのお店って聞き覚えのある店名がすごく多かったな。『プラウディア』もあるし、『キングダムクイーン』もあるし、今は『フォーティーファイブ』もあるらしいです(笑)。
この地元のグループで数年働いたあと、移籍したのが『マドレド』の静岡店。その後ずっとお世話になっているINSOUグループのお店です。マドレドに移籍したときは自分から売り込みました。オープンした当初に飲みに行って従業員の方とLINE交換だけして、それから3カ月後に連絡を取って面接して移籍っていう流れ。
移籍したのは東京へ行くハシゴが欲しかったから。二十歳くらいから上京したい気持ちが高まっていて、同じ頃にプラウディアとキングダムクイーンにも面接に行きました。歌舞伎町の本家本元のほうに(笑)。ただ、当時の彼氏が「上京ダメ絶対!」という感じだったので、そのときは結局東京行きは断念…。だったらせめて、東京に拠点があるグループで働いておこうみたいな。そのほうが思い立ったとき上京しやすいかなって。
念願叶って東京進出したのは23歳のとき。静岡のマドレドが閉店することになったのを機に上京しました♡ 最初は、「京都に『美人茶屋』がオープンするから京都へ行って欲しい」と言われたんですけど、京都には興味がなかったので。
お店を決めるときは、INSOUの社長と一緒に歌舞伎町から六本木から系列すべてのお店を回って決めました。社長には言えなかったけど、エンジェルフェザーがいいなっていうのは最初から決めてました。
「初月で最低でもナンバー5に入る!」ことを目標にエンジェルフェザーで働き出して、翌月からはナンバー1争いしていたので、街が変わって苦戦したという記憶はないですね。
歌舞伎町にいたのは1年半くらい。お店も好きだったし不満は特になかったけど、ちょっと歌舞伎町っていう街に疲れて六本木に移りました。
何に疲れたかといえば、いろいろありますけど、やっぱりアフターが長いことですかね。アフターは好きじゃない(笑)。
私の印象ですけど、静岡ってあんまりアフターが盛んじゃない。みんな割とお店が終わったらすぐ帰るし朝まで飲むとかあんまりなかったから。歌舞伎町の朝までアフターみたいな感覚がちょっと苦手で。誘われたら行くけど、基本行きたくないなみたいな感じでした。
六本木では同じくINSOU系列のビゼでずっと働いてます。最初は「歌舞伎っぽいね」ってめちゃくちゃバカにされました。「何あのコ」みたいな。それで、ちょっとメイクを万人ウケなものに変えて髪色を暗くしてみたけど、それでも店で一番髪色が明るいのは今も私なので、ただの気やすめですね。未だに六本木っぽさはないかもしれない(笑)。
六本木に来てからの今の成績は、1位のときもあれば2位のときもありっていう感じ。抜きつ抜かれつ切磋琢磨しています♡
お酒はめっちゃ飲むほうですけど、強くはないです(笑)。元々はカルピスサワーを半分飲んで気持ち悪くなっちゃうくらい弱いほう。思えば静岡時代は飲めない自分が悔しくて、夜な夜なベランダでビールを飲んで鍛えたりしていましたね(笑)。その頃に比べたらだいぶ強くなりましたけど、それでもキャバ嬢の中では弱いほうだと思います。すぐつぶれちゃう。飲めるコ、すごいな、いいなって思います。
キャバ嬢としての転機があるとしたら、二十歳の頃だと思います。初めてのバースデーイベントで仕事との向き合い方がガラッと変わったので。
それまではキャバクラはただのお小遣い稼ぎ。時給をもらえたらそれでいいみたいな感じでした。「時給2,500円だから、4時間働いたら1万円ももらえる!」みたいな。その頃、昼はガソリンスタンドで働いていたんですけど、ガソスタの時給に比べたら2倍以上。もうそれだけで十分。「お客さん来なくていいよ。待機で時給もらえたらいい」って思ってました。
しかも、当時の彼氏が「出勤しないで」って行ったらお店に行かなかったし、「夜やめて」って言われたらやめたり。それでお金がなくなったらまた戻ったり。そんな感じだったから、1カ月に1組も指名が取れないくらい売れてなかったです (笑)。
ずっとそういう、いい加減な仕事ぶりだったにも関わらず、なぜかその年はお店のほうから「バースデーイベントやるから」って言われたんですよね…。それまで全然仕事もしていなかったし、別に売れてもいないのに。「え? バースデーなんてできるの?」って、自分がまず思いました。でも、結果的にそのイベントがなぜかすごくうまくいって、そこから仕事がどんどん楽しくなっていったんです。
今考えてみるとイベントがうまくいったのは、そうとは知らずに「営業」というものをしたからかなって思います。「来てって言ったら来てくれるかな? とりあえず言うだけ言ってみよ♪」みたいな感じで、「誕生日なんだけどお祝いしてよ」とか「シャンパン飲みたい」とか、そういうことを着いたお客さんにポンポン言っていたら、当日バーッと来てくれた。言ってみるもんだなって思いました。
そのバースデーのとき、すごく楽しかったんですよね。あっちで呼ばれるこっちで呼ばれる、卓かぶりまくりみたいな。その状態がめちゃくちゃ楽しくて。お客さんがいっぱいいるってこんなに楽しいことなんだみたいな。このとき初めて私は充実感とか達成感とか味わったんだと思います。
人間何がキッカケで変わるかわかんないですよね。売れる楽しさを知ってからは、負けたくないっていう気持ちも芽生えて、上を目指すようになりました。それからずっと「仕事が第一」。毎日出勤するのも結果を出すのも当たり前っていう感覚です。
競い合って忙しく働いているのが日常になっていたから、コロナの自粛で3カ月お休みしたときは改めて自分にとってキャバクラってなんだろうって、いろいろと考えさせられました。毎年、バースデーのあとには1カ月くらいお休みをもらっていたけど、こんなに長く仕事を休んだことがなかったから。しかも誰に会うでもなくずっと自宅待機。否が応にも自分と向き合わざるを得ないですよね(笑)。
仕事ができない、誰にも会えないってなったら、めちゃくちゃさびしくなりました。「仕事がなくなったら私、なんもないな」って。他に何かあるんじゃないかっていろいろ探したけど、意外と何もなかった。何もなくてもいいから、早く『ビゼ』のある日常に帰りたいってずっと思ってました。
キャバクラは「お金が欲しい」で始めたことだったけど、いつの間にかこの場所が私には絶対必要な場所になってた。コロナがあってそれに気づいた感じです。キャバクラ好きなんだなって。まあ、ヒマだと余計なことも考えちゃいますよね。この時期読んだホリエモンの本にも「不安に対する一番の解決策は忙しさだ」って書いてあって、まさにこれだなと思いました。動いてるほうがいい。
動いているほうがいいし、目標を持ってそこに向かって進んでいるときが私は一番充実します。今の私の目標はINSOUのグループレース『ドリームガールズ』で1位をとること♡
ビゼ、ミュゼルバ、リブレット…、INSOUのニュークラブ事業部で売り上げを競う『クイーンズカップ』という賞レースがあって、去年の秋の『クイーンズカップ』では1位をとったんですけど、年明けの『ドリームガールズ』では2位だったんですよね。それがめちゃくちゃ悔しくて。1位をとりにいっていたし、自分史上最大に頑張ったっていう実感もあったから本当に悔しくて。
賞レースって不思議ですよね。戦いたくないし、戦わなくてもいいなら戦わないし、やりたくないって言ってるのに、始まると本気になっちゃう。「もう始めてるから」とか言われて、目の前にバンッと売り上げのグラフ出されたらやるんですよ。そこに自分の名前を見つけると、ガゼン頑張っちゃう(笑)。
結果を出すこと。結果を出すまでの頑張っている自分が好き。そこなんだと思う。
毎月の売り上げやナンバー、賞レースは一番わかりやすい形で結果が出るから。
今はこういうご時世だから、賞レースが開催されるかどうかはわからないけど、次の『ドリームガールズ』では絶対に1位をとりたいです♡
コロナ禍で改めて自分の居場所を再確認した桃さん。今は、接客できる喜びを実感しているそう。これから、さらなる活躍が楽しみですね♪
セカンドキャリア有名キャバ嬢紹介
六本木『ビゼ』北条桃 信頼度99.9%の来店予定表と安心バースデー♡
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