良かったことも悪かったことも、失敗も挫折も私が私になるためのSTORY♡ 「あの時代があるから今がある」そんな人生の原点は誰しもあるもの。4月いっぱいでキャバ嬢を引退して、現在は幸せな結婚生活を送っている元『ファブリック六本木』のれいさんの原点とは? 高校中退、バイト生活、4万5,000円の1K…。キラキラなあのコのキラキラ以前。“あの頃のお話”をお届けします♡
1つ1つの選択肢の結果が今の自分を作り上げていると思いますが、進む道が大きく変わるような分岐点ってどこだったと思います?
振り返ってみると、いろんなターニングポイントがありましたよね…。新地のお店をやめて2年休業したこともすごく大きな分岐点だったし、そこから六本木のファブリックでキャバ嬢復帰したことも節目だったし、結婚もそうだし…。でも、今の自分につながる道の分岐点はどこだったか…で考えると、高校を中退したときだと思う。
私、思うところあって受験して入った高校を1年経たずにやめて、1年遅れで高校生やり直してるんですよ。そのへんも含めて高校入り直して卒業するまでの時期が自分にとっては大きい転換点だったと思いますね。
高校、入り直してるんですね!
そうなんですよ。最初は普通に全日制の高校に入学したんですけど、違うと思ってすぐやめちゃって。それからは喫茶店とかでアルバイトをしていて。でもそのうちに将来考えたら学歴ってあったほうがいいんかなって考え直したんです。それで1年遅れで通信制の高校に入ったんですよね。それで3年間勉強して卒業して、美容系の短期大学に入って。そこでネイル検定とか美容系の資格をいろいろとったりしたんですけど。
最初の高校は何が違うと感じたの?
何にも考えず商業科に入っちゃって。入ってから「はて? 商業科ってなんやろ?」みたいな。ちゃんと考えて受験しろって話なんですけど(笑)。自分の偏差値で行けるところをただ受験しただけだったんで。それで、入ってから簿記の授業とかあって。「え? ここ何の勉強するところなん?」みたいな。このままここで勉強しとっていいんかなっていう違和感が多々あって。3年間全く興味の持てない勉強するんやったら働きたいと思ってやめたんですよ。それで普通のアルバイトをいろいろしてたんですけど。
「失敗した!」と思っても中退する踏ん切りはなかなかつかなそう。
このときから嫌だと思ったら続かない性格やったんやと思う。自分でお金稼ぎたかったし。意味ない勉強するよりアルバイトいっぱいしたいし、働きたいみたいな気持ちが強くて。親の猛反対を押し切って1年生の途中で学校やめましたね。親にはめっちゃ怒られたし説得もされたけど、「止められても絶対やめるよ。私行かんからね」って強行突破。
学校やめてからはどういうとこでバイトしてたの?
18歳未満やったんで普通に昼職ですよ。喫茶店とか居酒屋とか、ガソスタで働いたこともあるし。そんな感じでバイトしまくってたんですけど、だんだんとやっぱり高卒程度の学歴はあったほうがいいなと思い始めて。このまま中卒でやっていくのは親不孝だなっていうのもあったし。3年後、5年後、10年後って考えたときに、「私、中卒なんです」って言いたくない自分がおったから。やっぱ高校卒業しよう、それで短大くらいは行こうって。それで学校行き直しました。
自分で先々を考えて学校に行き直すっていうところがすごい。
嫌になったら続かないけど、やり直したいってなったらすぐにやり直すんです。自分がそう思ったらすぐ行動するっていう性格(笑)。
それで通信制の高校に入り直して、18歳になった瞬間に夜と勉強掛け持ちみたいな。短大のときとか、一番後ろの席で二日酔いでオエオエいってました。夜はしてても学校は毎日ちゃんと行っていたから。
ストーリーとかで見る限り親と仲良さそうですけど、バチバチしてた時期もあったとか?
その頃、バチバチでしたよ。反抗期。早く家を出て自活したいと思ってたし。うちは結構教育ママやって小学生の頃から中学受験とかもさせられて。それで大阪の女子校の中では偏差値高めのところに入ったんですけど。結局そこもやめ…。中学でも学校1回やめてるんですよ(笑)。
めちゃくちゃ頑張って勉強して入ったのに、思ってたんと違うっていうことに気がついて。中1の後半か中2の頃か地元の公立の中学に転校してるんです。
私立の中学では何か上手くいかなかったとか?
いじめとかはなかったけど校則とか課題の量とかキビしすぎて。「これは仕事ですか?」みたいな感覚が嫌になっちゃって。嫌だと思ったら我慢がきかない(笑)。公立に行ってる地元の友達とかめっちゃ自由そうやったしそれがすごくうらやましくて。それで、地元の公立中学に転入した瞬間、白ギャルみたいな(笑)。まあ、ヤンチャもしたし。
それでバイトできるようになってからは親からお金もらってなかったし自活してました。なんか自分の中で嫌やったんですよ。バイトできる年齢なのに親からお金をもらうってことが。稼げる状態なのに養われているというか。
だいぶ自立心が強かったんですね。
1人っ子ゆえの“親うるせえな”みたいな(笑)。兄弟姉妹がいないから関心が全部自分に向くから。そのぶん反発するみたいなところはあったのかもしれない。ただ同時に、「親に養われている間は言うこと聞くのが筋だろう」っていう気持ちも強かったんですよ。言うこと聞かないならちゃんと自分のことは自分で面倒見なきゃみたいな。自由にやりたいんやったら、自分で稼いで自活してなきゃと筋が通らないというか。
スネをかじりながら文句だけ言うのは許されないみたいな?
そういう考えが強かった。未成年で家とかは自分じゃ契約できないからそこまでは大人の手も借りたけど。1人暮らし始めてからは家賃生活費はバイト代でまかなってました。
最初に住んだ部屋はどんなとこ?
最初に住んでた家はヤバかったですよ。家賃4万5,000円のちっちゃい1Kアパート。1Kといってもキッチンといえるキッチンがあるわけやなくて、部屋の片隅にこんなちっちゃいシンクがあって横にコンロ1個みたいな。
そしてなぜかお風呂が真四角だったwww で、お湯使いすぎたらお湯が出なくなるみたいな。1日に2回お風呂に入ったらとりあえず危ない (笑)。
自炊とかしてた?
してました。ほぼ、もやし(笑)。お金がないときやからとりあえずもやしでカサ増しみたいな。18になるまではガソスタとか昼のバイトしかできないじゃないですか。掛け持ちしたりして頑張って働いても家賃、光熱費、携帯代とか必要経費で消えちゃう。コンビニとかでちょっとしたお惣菜買ってもやしが主食みたいな。あとなぜかおからクッキー食べたりとかしてました。
夜はじめてからは多少楽に?
そこからはマシになりました。ミナミのキャバクラから始めて…。キャバクラも最初の頃から嫌なことは嫌、楽しいことは楽しいで、今以上に自分の感情のままに生きてた気がしますね。
割とすぐ売れた?
そうですね。キャバ嬢になって次の月からはそのお店では1番になってたんで。その後、新地に移ってからも頑張ってましたね。カイザーグループの頃はカイザークイーンにもなったし、新店舗ができたときは初代ナンバー1になるとか。ぼちぼちそういう記録は残してきて、北新地でも「れい」って言ったらみんな知ってるみたいな存在にはなってたかな。
この1K アパートにはどのくらい住んだの?
短大に入るときに一旦実家に戻ってるから、高校入り直してから卒業するまで暮らしてたんかな?
1回実家に戻ったんですね。
もう疲れたのかな(笑)。次の家借りるまでちょっと暮らさせてみたいな。親との関係もその頃にはだいぶ良くなっていたから。このコに何言っても言うこときかへんってあきらめてたと思うんで。そこから口出しもされなくなりましたね。
で、また改めてお引越ししたんですけど、そこからはもう実家に戻ってないですね。このときにはもうキャバ嬢としての収入もしっかりあったから、普通にちゃんとした部屋を借りて。家賃26万だったかな。大阪って別にそんなめっちゃ家賃高いとこってないんで、そのぐらい出したらちゃんといい部屋借りられるんで。そこからまともなお家に住んでますけど、最初に借りたボロい部屋のことは詳細まで結構覚えてますね。
最初に住んだ部屋って記憶が鮮明ですよね。
めっちゃ覚えてますね。なんかよくわからないけど部屋の中に有線ついてたんですよww 良いのか悪いのかわからないけどそれがそのアパートのウリでしたね。有線のスイッチ押したら流れるんですけど、毎回同じ曲流れてるから必要なのかわかんなかったですけど。最初の頃とか一応聴いたりして、なんなんだろうこのアパートみたいな。今思い返すとそれが思い出やったりするし、ここが自分の原点みたいな感覚ありますよね。
人生の原点について聞かせて頂いた“あの頃”の話。キャバ嬢として活躍し結婚引退後も悠々自適な暮らしを送っているれいさんに、“もやしを食べていた頃”があったと思うとなんだか感慨深いですね♡
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